中国新聞社

2000・5・28

被曝と人間 第5部 放射線 人知の壁
〔5〕遺伝的影響

未解明…調査なお続く

 ●被爆者の“呪縛”今も

 初めての子は死産だった。ビキニ被災(一九五四年)で「死の 灰」を浴びた第五福竜丸の乗組員大石又七さん(66)=東京都大田区 =は、その子の顔を見ることができなかった。もちろん、被曝(ば く)の影響かどうかは分からない。「私らは何かあると『もしや』 と思う。体だけでなく心も被ばくした」と言う。  放射線が人体に与える影響を考える上で、広島、長崎の原爆被爆 者は貴重なデータを提供し続けてきた。だが、「遺伝的影響」とい う、最も大きな課題は未解明のまま残っている。当事者たちは、そ のもどかしさに心を痛め、放射線の呪縛(じゅばく)から逃れられ ない現実もある。

5月28日
被爆二世から返信されたアンケートのデータをパソコンに入 力する放影研職員(広島市南区)

 ■プロジェクト始動

 放射線影響研究所(放影研、広島市南区)で、その影響を探るプ ロジェクトが動き始めた。「被爆二世健康影響調査」。親の原爆被 爆が、子どもの健康にどんな影響を及ぼしているかを疫学、臨床の 両面から数年がかりで調べるのが目的だ。

 調査は、生活習慣、健康状態などを把握する郵便調査と、放影研 での健康診断の二本柱。対象は広島、長崎両市に住む被爆二世一万 数千人に及ぶ。今月上旬、三百人に送った予備調査のアンケート が、返信され始めている。

 ■二世への利益強調

 被爆二世たちは、がんや糖尿病、高血圧といった生活習慣病にな りやすい壮年期を迎えた。「生活習慣病には遺伝が関与しているも のがあるが、だれも詳細には調べていない。二世の利益にも結び付 く調査だと思う」と、放影研の平良専純常務理事(62)は意義を強調 する。

 放影研の前身であるABCC(原爆傷害調査委員会)は、一九四 七年の発足と同時に、放射線と遺伝の調査に乗り出した。戦前のシ ョウジョウバエを使った実験で、遺伝的影響がはっきりと出ていた からだ。

 以来、継続的に調査を進めてきた。広島、長崎両市内の新生児に 関する障害の有無などの調査(約七万人、四八―五四年)、染色体 異常の調査(約一万六千人、六七―八五年)、血液のタンパク質の 調査(約二万三千人、七五―八四年)など。

 だが、いずれの調査でも、被爆二世に異常が増えたという結果は 出ていない。

 「突然変異の頻度はもともと低くて見つけにくいし、生存被爆者 が受けた放射線は、マウスなどの動物実験の量よりかなり少ない 」。放影研の中村典・遺伝学部長(53)は、調査の難しさと遺伝調査 を進める母集団が持つ限界、と説明する。

  ■DNA検査が有力

 中村部長らは、デオキシリボ核酸(DNA)の調査技術の進歩か ら、これまで不可能だったDNAを直接調べる検査方法を模索して いる。約千家族の血液から親子のDNAを取り出し、見比べて突然 変異が生じていないかを調べる手法が有力だ。

 ただ、なんらかの変異が見つかっても、どのような病気に結び付 くかは、臨床的調査と突き合わせなければ、はっきりした答えは出 てこない。それには、相当長い追跡調査が必要だ。「社会的差別も 生みかねない問題だけに、慎重に進めなければならない。これから が本当の正念場だ」。中村部長は口元を引き締めた。


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