中国新聞

モニュメントのつぶやき
慰霊碑と観音堂
夏草の生い茂る山中にたたずむ慰霊碑と観音堂

落下傘の記憶

 いちずに思い伝承

 爆心から約十六キロ。ヒグラシの鳴く谷沿いの道を登っていくと、林の中に一基の慰霊碑がひっそりと立っている。山の持ち主だった故安光覚遊さんが、一九九〇年に建立した。「落下傘の落ちた地点」と刻まれた文字だけが史実を物語る。

地図 あの日、原爆の爆発規模を測定する四つのパラシュート計器のうち、一つが安光さんの山に落ちた。「米兵が降りてきた」「爆弾を積んどる」…。デマが飛び交い、大騒ぎになった。二女の主婦崎本定子さん(74)=安佐北区亀山五丁目=は、生後八ケ月の長男を連れて近くの山かげに避難し、不安な一夜を過ごした。

 安光さんは、原爆で一人息子の一夫さん(当時十四歳)を亡くし、僧侶の道を選んだ。寺を建てるのが念願だったが、米寿を迎え、慰霊碑と小さな観音堂を建立した。亡くなったのはそれから三年後。「どうしても建てるんじゃと聞かなくて。何かを若い人に伝えたかったのだと思います」。いちずだった父を思い浮かべながら崎本さんは語った。(おわり)

広島市安佐北区可部町大毛寺
 [高さ2メートル(台座含む)、本体部分の幅1.2メートル]

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