1.春が来た |
応援サポート 第2章 |
歴史ガイドや新楽曲 |
赤い法被が完成間近のスタンドにひらめいた。シートを移動しながら、座っては立つ。今月12日、新球場を訪れた東区の会社員大下達也さん(47)は、眺めのチェックを繰り返していた。「ちょっと話し掛けんで」。眼中には文字通り、グラウンドしかなかった。
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他の市民グループと新球場を見学する大下さん(手前)。厳しい目つきで眺めをチェックする |
「伝える使命感」
「かたりべプロジェクト」代表を務める。メンバーは約30人。観戦、観光客に広島東洋カープと球場の歴史を語って聞かせる。昨年10月からは毎週土曜日、休日返上で新旧球場を巡る無料案内をしてきた。
2007年秋、東区の二葉公民館が開いた講座「広島カープ昔話」に参加したのがきっかけになった。講師の元選手長谷部稔さん(77)=安芸区=が球団結成2年目の1951年の思い出を語った。
経営不振から球団解散を決議する会場の旅館をファンが取り囲んだ。「カープをなくすな」。その叫びが首脳陣を動かし、球団存続と市民の後援会づくりにつながったという。
「カープが今あるのは市民のおかげ」と目を潤ませながら語る長谷部さん。大下さんは「次代に伝えなければ」と聞き入った。
被爆地にとって原爆ドームが「負の遺産」なら、カープは復興の軌跡を体現する「希望の象徴」。ファンの立場を超え「市民として語り伝える使命感がある」と大下さん。受講生仲間とかたりべプロジェクトを結成した。4月2日、寄付者たちを招く見学会で新球場での初舞台を踏む。
気持ちを新たに
全国広島東洋カープ私設応援団連盟も「新球場元年」の準備を進める。勝ち越しの好機にトランペットで演奏する曲を作った。「新球場バージョンよ。わしらも気持ちを新たにしたい」。新藤邦憲会長(60)=中区=は興奮を隠せない。
04年に近鉄バッファローズとオリックス・ブルーウェーブが合併。球界再編の波は経営基盤の弱い地方球団をのみ込むかに見えた。「老朽化した球場じゃあ、客が呼べん」。応援団連盟は新球場建設の署名活動を始めた。
「カープはわしらの生きがい。地元からなくなっていいのか」。新藤さんは仲間と市民に訴え続けた。署名は5万人を超えた。
緑に輝く天然芝のグラウンドを見て、五年にわたる苦闘がよみがえった。「はじめは半信半疑だった。夢が本当にかなった」。喜びと「支えてくれたみんなへの感謝」の涙がほおを伝った。
地元開幕戦は4月10日。スタンドに新曲が鳴り響く。旧球場で生まれた広島独自の応援スタイルが、第二楽章を奏で始める日となる。(武内宏介)
2009.3.30
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