特集・インタビュー
ホーム社説天風録地域ニュースカープ情報サンフレ情報スポーツ情報全国・世界のニュース
2004/12/5
日系人経済学者がみる「日本のグローバル化」 流通科学大 永谷敬三学長に聞く

「内」の長所 見直そう

 今こうした言葉が盛んに聞かれる。「日本はグローバル化しなくては」。確かにモノ、金、情報、人が「世界規模」を表すグローバルに動く。とりわけバブル崩壊後の経済の分野で使われ、年功賃金や終身雇用など日本的制度・慣行の「改革」が叫ばれる。それに対して、神戸市西区にある流通科学大の学長、永谷敬三さん(67)は「一人勝ちに見える米国をまねようとする、日本人の自己喪失の表れ」と警鐘を鳴らす。古里は広島、北米で三十有余年を過ごしたカナダ国籍の経済学者である。グローバル化に直面する日本社会をめぐって、忌憚(きたん)のない考えを語ってもらった。

(編集委員・西本雅実)

米模倣から脱却を 大学教育の充実を望む

 ―経済成長が始まった一九六〇年代半ばに日本を離れ、再び暮らす中で感じられることから。

 日本人が豊かになり、緊張感をなくしたことです。私が留学したころは人も国も余裕がなく、元の職場(旧大蔵省)に戻れない覚悟で海を渡った。ところが八〇年代後半、筑波大に客員教授で来るとショックの連続でね。街行く人の服装、言動は華やかになる一方で目に緊張感がうかがえない。これでは繁栄は続かないなと思いました。

 ―いわゆるバブル崩壊が九一年。それからを「失われた十年」ともいわれ、グローバル化をはじめとする「改革」が政治・経済の分野で声高に叫ばれ始めました。

 不況は資本主義で必ず経験するもの。七〇年代は英国、八〇年代は米国とどこも苦労した。だからといって彼らは自らを否定したり、日本のようにしなくてはなんて思わない。昂然(こうぜん)と胸を張っていた。私にいわせれば過剰反応です。

 日本の正味資産は二〇〇〇年までの十年間に損失は約六百兆円と膨大だが、バブル期の増加が異常であって、八五年を基準にすれば二〇〇〇年末は平均年率3・3%の成長ですよ。それが自らの経済制度や慣行を自虐的にバッシングして、いたずらに米国流に走る。首相すら「改革なくして回復なし」と定かでない政策を主張している。日本人が自己を見失っている方が問題だと思います。

 ―特にどんな点で、そう思われるのですか。

 新渡戸稲造(「武士道」を著した教育家。欧米で翻訳され、カナダで客死)や、ルース・ベネディクト(米国の文化人類学者。日本を「恥の文化」とした)によって世界に紹介された日本人のすがすがしさ、正直さ、恥を知る気持ち。それが今は政治家や経営者ばかりでなく若い人も、その行動規範は「見つからなければ何をやってもいい」じゃないですか。こんなふやけた国になったのかと…。日本人は日本人として世界で生きる以外に道はないと思います。

 ―日本国内では否定されがちな日本人のあいまいさ、対外恐怖症が日本の発展を生んだと、著書で評価されています。

 小さな国土に人口稠密(ちゅうみつ)な日本がうまくいったのは議論に黒白をつけず、物事を水に流すあいまいさから。諸外国の紛争をみるとその知恵のすごさが分かるでしょ。対外恐怖症は外に学び、克服しようとする。ただ度が過ぎると、米国の数年間の一人勝ちを見て「これだ」と飛びつく。自らの長所をもっと見据えるべきですよ。

カナダが好例

 ―とはいえ、安全保障から経済まで、米国抜きには考えられません。

 米国とどう付き合うかは、カナダが一つのいい例。国境を接し、テレビ番組の八割は米国制。GDP(国内総生産)も人口も十対一で「象とネズミ」にまでたとえられる。しかし米国のイラク侵攻に真っ向から反対して、一歩も引かなかった。しょっちゅうけんかしています。それでも米国はカナダをフレンド(友達)だという。相手の機嫌を損ねるとばかり従っているだけでは、決してそうなりません。

 ―日本のグローバル化は米国追随だと。

 今、日本でいわれるグローバル化は貴重なものは「外」にあると発信して、「内」をおろそかにしている。そもそも世界中の人に受け入れられるというのは、各民族の文化にとって敷居が低く、質が悪いもの。「外」にアイデアを求めるのはしょせんコピー文化であり、模倣社会ですよ。

 ―「国際人を育てなくては」との言い方も教育現場をはじめとして、よくなされますが。

 不思議ですね。「国際人」にしろ、グローバル化にしろ、今の日本人は強迫観念に取りつかれているのでは。どの国も国益中心で、それぞれの伝統文化に胸を張って生きている。互いに見て妙なやつが競い合っているのが国際社会であって、頭で考えるような普遍的な社会があるんじゃない。確かに国際ルールはありますよ。そこでいかに賢くやるか、それが日本の課題だと思いますね。

人的資源カギ

 ―そこを具体的に。

 やはり人的資源の育成と蓄積です。日本がモノづくりで成功したのは、自然というゲームをしない世界を相手にしていたから。根気よく努力を惜しまず加工した。ところが人づくりは、相手の反応を見て、年齢や資質に応じた戦略が要る。

 来日して驚いたのは、仕上げとなる大学教育のおそまつさです。スイスの国際研究機関が公表する大学教育の競争力ランキングで、日本は主要数十カ国のうち最低ですよ。子どもは本来競争心が強いのに、運動会で一等賞をつけないような競争を否定する教育を受ける。親は塾に行かせても大学に入れば関心をなくす。学生はそうした中で育ち知的好奇心に欠け、漫然と過ごしている。

 ―厳しいですね。

 ここは「国際基準」でいかないと。北米の学生は稚拙な質問もするけど納得するまで聞く。日本でいう大学の危機は、独立行政法人となった国立を含め経営や教員の処遇にとらわれ、教育の中身が見過ごされています。若い世代が世界に通じる力がないと国家的な危機であり、日本は本当に二十世紀止まりの国になってしまいます。

 ―母国への悲観論には決してくみされていないと思いますが。

 ええ。日本人が「外」をまねるのではなく、自らの価値観と資質を再発見し、磨けば二十一世紀も切り拓(ひら)けると信じています。社会をそうした仕組みにする、ことです。日本人は日本人のよさを再生産していく。だから世界は面白いし、面白くなるんです。


 格闘の半生 説得力

 「国際人なんているのか、日本人は日本人として世界で生きていく以外に道はない」。永谷さんの話は一見古めかしく、閉じられた考えに聞こえるかもしれない。しかし、それは同質的な日本社会においてではなく、さまざまな民族と文化が織り成すカナダで培われてきたものだ。日系カナダ人として生きることを選んだ永谷さん自身が、身一つで「世界」と格闘してきた半生で、日本を再発見したといえるかもしれない。

 日本的な価値観とは何なのか。つまり自分たちの固有の特性や強みを見据えることが、外に向かって開かれ立ち向かう「グローバル化」の第一歩である。永谷さんの話に耳を傾けながら、強く感じさせられた。今、掛け声の大きさばかりが先立つ「改革」のどこに問題があり、経済学的な見地からの処方せんは―。関心を持たれる方は、永谷さんの近著「これからだ!日本経済」を手にとってほしい。

picture
 ながたに・けいぞう 広島・廿日市高から一橋大を経て大蔵省勤務。1965年米ブラウン大に留学し、博士号を取得。68年カナダに移り、ブリティッシュ・コロンビア大教授となり、79年妻とともにカナダ国籍に。97年神戸大教授に招かれ、今年1月から現職。4年間の任期を終えたら「自宅があるバンクーバーに戻って、釣りざんまいの生活といきます」。1男2女は独立し北米在住。

ホーム社説天風録地域ニュースカープ情報サンフレ情報スポーツ情報全国・世界のニュース