日本からの報告 原子力を問う
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島の2計画 正反対の結果

 関西、中部、北陸の3電力が石川県珠洲市に共同で計画していた珠洲原子力発電所の建設が昨年12月に凍結された。一方、北陸電力が設置した志賀原発(同県志賀町)では2号機が2006年3月の運転開始を目指して工事が進んでいる。同じ能登半島に計画された両原発。スタートしたタイミングはわずか8年の差にすぎなかったが、約30年たった今、一方は2基目が稼働目前にこぎつけ、もう一方は調査にも入れず撤退―と、まったく異なる結果を生んだ。(編集委員・宮田俊範、写真も)

迷走28年 対立の傷
 能登半島先端の禄剛埼灯台にほど近い珠洲市高屋地区は、一本の県道と漁港を中心に約七十軒の家屋が立ち並ぶ漁村。灯台を挟んで反対側にある三崎地区とともに、二十八年にわたる珠洲原発計画の予定地となっていた。

 その歴史を物語るのは、反対派住民が電力会社の動きを監視するため建てた見張り小屋ぐらい。今は静かな漁村の営みに戻っている。

 珠洲市は三月末、計画凍結を受けて一九九一年から設けていた電源立地対策課を廃止した。同時に市を定年退職した「最後の課長」の徳間勝則さんは「この二十八年間、市民は推進、反対の立場を問わず、大なり小なり影響を受けてきた。今となってはこの二十八年間がいったい何だったのか、と問わずにはいられない」と口調を強めた。

 計画は、市議会全員協議会が七五年に適否調査を国に要望し、事実上の原発誘致を表明したことに始まる。当時は隣の福井県で日本原子力発電の敦賀原発や関西電力の美浜、高浜原発などが相次いで運転開始。第一次石油ショックで石油も高騰し、国は原発建設を急ぐ状況にあった。

 珠洲市は五四年に九町村が合併して市制を施行したが、当時は合併時の人口三万八千人から二万八千人へと一万人も減少。能登半島の最先端という地理条件が災いして激しい過疎に見舞われ、高度経済成長から取り残されていた。徳間さんは「今では人口が二万人を切っている。企業進出が見込めない中、原発誘致に過疎対策を託す以外に、どんな方法があっただろうか」と説く。

 過疎脱却の願いを込めた原発誘致。しかし、七九年に米スリーマイル原発事故が起き、三電力が本格的に立地活動に動き始めたのは八四年からと遅れた。続く八六年には旧ソ連のチェルノブイリ原発事故。地元の反対運動は盛り上がった。

 関西電力は八九年に高屋地区で立地可能性調査を手掛けようとしたが、反対派住民約三百人が市役所の一部を四十日間にわたって占拠。結局、調査に入れず、計画は具体化しないまま昨年十二月の計画凍結を迎えた。

 電力三社が計画凍結を珠洲市に申し入れた日の夕方、徳間さんに経済産業省から一本の電話がかかった。「今日から交付金は使わないでもらいたい」。国の要対策重要電源地点の指定が取り消されることが決まり、交付金の使用を差し止める通告だった。徳間さんは「われわれは国策に長年協力してきた。電力会社は冷たいが、国もさらに冷たい。これでは国策に協力する自治体などなくなる」と語気を荒げた。

 珠洲市から車で約二時間、能登半島中央部にある志賀町では今、志賀原発2号機の建設が82・6%まで進んだ。総工費三千七百五十億円。出力百三十五万八千キロワットの最新の原子炉とあって、見学者はこれまでに六万八千人に上る。

 志賀原発建設所長を務める辻井庄作取締役は「2号機の建設はスムーズに進んでいるが、計画が最初から順調だったわけではない。それどころか全国で最も難航した原発だった」と明かした。

 計画開始は高度経済成長の最中の六七年にさかのぼる。当時の中西陽一・石川県知事と金井久兵衛・北陸電力社長がトップ会談で決め、「能登と加賀の格差是正」との狙いも込めて始まった。

 だが、建設予定地は二転三転。さらに原発の敷地が人家近くまで押し寄せるため、地元の赤住地区の住民が賛成、反対に分裂してしまった。

 原発受け入れの是非を問うため、七二年には地区住民約三百四十人による日本初と呼ばれた「住民投票」を実施。しかし、どちらに決まってもわずかの差となることが予想され、いっそう混迷しかねないと判断した石川県は開票せずに投票を破棄する調停案を示した。地区総会もこの勧告を受け入れ「幻の住民投票」となった。

 辻井取締役は「今では投票結果を知るよしもないが、赤住地区の住民はその後も何度も協議を繰り返し、最終的には同意してくれた。今では地区住民で原発内の食堂で働く会社を運営するほど協力してもらっている」と説明。1号機は計画開始から着工まで当時としては全国最長の二十一年がかりだったが、2号機では建設申し入れから六年で済んでいる。

 同じ能登半島に計画されながら、正反対の結果となった珠洲原発と志賀原発。珠洲原発の凍結は地元合意が図れず、高屋地区と三崎地区でそれぞれ一―二割の未買収用地が残ったことが直接の原因であり、間接的には志賀原発よりわずかに遅れたタイミングが、その後に国内外で起きた原発事故や電力自由化などの影響の大きさの違いとなって表れたといえる。

 二十八年にわたる計画の迷走は市民に対立の傷跡を残した。推進、反対の立場を問わず、多大な徒労感をもたらしたことも確かである。






28年にわたる珠州原発計画の予定地だった高屋地区。昨年12月に凍結された今、静かな漁村に戻った。(石川県志賀町)
1号機(手前)に続き、2号機(奥)が建設中の志賀原発。計画当初は立地が難航した。(志賀町)
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