2001/5/27 私に何が起きたのか。いや、何かが起きたに違いない。頭の中で、「がん?」が「がん!」に変化していくのに、時間はかからなかった。 手術から四日後、夫から、病理検査の最終結果が確定するまで説明を待っていたこと、「卵巣がん」であること、を伝えられた。手術の途中、主治医は夫を呼び入れて、「悪いもののように思える」と説明し、取りあえず左の卵巣だけ切除して、手術を終えたのだった。 最初から、がんの可能性を考えての入院と手術であれば、時間をかけて吟味し、治療環境の整った病院を選択した。しかし、おなかを開いて「がん」と分かった私の場合、今後の手術の方法も違ってくるし、新たな手術スタッフも必要だ。 次の方向性を見いだそうとする夫は、驚きや悲しみを私より先に体験しているので、落ち着いているように見えた。でも、私は「やっぱり」という気持ちと、「良性」と診断した医師への不信と怒りがごちゃまぜの状態だった。「どうしてよお!」。ひとり、ベッドで声をあげた。 無論ナースとして、卵巣がんの診断が難しいということを理解はしていた。だが、患者としての私は、許せない気分だったのだ。そして、すべて仕切り直しになる。 がんを告げる前の四日間、夫はあれこれ情報を集め、段取りを整えておいてくれた。おかげで、突然の告知にもパニックにならずにすんだ。ただ、それができたのも、たまたま夫の職業が医師だったからに違いない。 夫がかき集めてくれた情報の中から、私はひとつの病院を選んだ。その病院は、婦人科がんの治療経験が豊富なうえに、院内に病理医、麻酔医が常勤でおり、最新の検査機器もそろっている。「とにかくこの危機を何とかしなくては」との思いが先に立った。遠い近いや、建物のうんぬんなどは二の次だった。 二週間のオフの予定が、半年になるのだ。十月半ば、大急ぎで職場のスタッフに事情を説明し、仕事の申し送りをする。後を任せる副所長が「これから寒くなるから…」と、温かそうな靴下をそっと渡してくれた。 「そうか、私は今年の冬は病院で過ごすんだ」。その時、がんになった自分を、あらためて思い知らされた。
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