中国新聞社

(5)主治医と出会うプロの気迫に思い熱く

2001/6/3

 まだ痛い下腹を抱え、手術結果の資料と冬支度の生活用品類、がん関係の本を持って転院した。海辺を走る車の中で、「もう同じ轍(てつ)は踏まないぞ」という気持ちでいっぱいだった。

 「治療に参加する立場をとる」「情報は自分で見る」「理解できないことは尋ねる」「決定は自分がする」…。患者としてこうしたいと思うことを反すうしていたら、あっという間に、病院に到着した。その病院は外来棟こそ古いが、入院棟は高層の新築で、丘の上にそびえている。

 ごった返す外来患者さんの中で、なんだか自分だけ動きが鈍い気がした。でも、よく見ると、不安そうに目をキョロキョロさせたり、立ち止まって行き先を確かめる人が、けっこういる。初めて来た病院で、「どこへ、どう行ったらいいんだろう」と迷うのも無理はないか。

 上を見ながら矢印を目で追って、窓口を探す。入院予約していることを告げ、紹介状と保険証を提出して婦人科の外来へ行く。順番がきて、問診を担当した若い女性医師に、患者としての希望も伝えた。

 しばらくして、主治医が現れた。あいさつの後、紹介状と持参した資料を渡す。中年の男性だ。おし黙ったまま、資料を読んでいる。「難しそうな先生だな」というのが率直な印象だった。

 いかに医師とのコミュニケーションを図るかは、闘病するうえでの大きなポイントになる。私は病院に勤めていたころ、それがうまくいかない場面を何度も目の当たりにしてきた。

 診察のため、内診台に上がる。主治医は、終始無言…。看護婦さんが手を握ってくれていたから、大声こそ出さなかったが、痛みもあって涙がこぼれた。

 「声ぐらい掛けてくれてもいいのに…」。プンプンで内診台から降りようとした時、カーテンの向こうで腰をかがめて、顕微鏡をのぞいている主治医の姿が見えた。前の病院で切り取った私の卵巣の標本を見ている。まばたきもせず、じっと凝らす視線が鋭かった。まるで、敵を見ているような目。

 真剣勝負に挑む、プロの気迫を感じた。ともかく一緒に闘うしかない。「私は、生きるためにここに来たんだ」という思いが、熱く込み上げてきた。

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