中国新聞社

(23)友の支えうれしい細かな気配り

2001/10/7

 入院していると、社会から離れた感じがする。そんな時、親せき、友人、知人などが「どう?」と訪ねてきてくれるのはうれしい。ごくわずかな人にしか入院は知らせていなかったが、いつの間にか、たくさんの人たちに支えられていた。

 長期入院を体験した看護婦の友人も、そんな一人だ。私より一回り近く若いのだが、彼女のサポートは的確で、ありがたかった。

 病院勤務時代からの付き合いで、もう十五年になる。よく夜勤明けで旅行に行ったり、スキーに行ったりで、今でも大笑いして話の盛り上がる思い出がたくさんある。突然入院した私に、自らの入院体験で得た知恵を授けてくれたのだと思う。

 例えば、食欲のない時、イチゴジュース、バナナジュース作りに活躍した「小型のミキサー」。病院食についてくる果物や牛乳で、新鮮なジュースを手軽に作ることができた。苦い薬も、ジュースと混ぜれば一気に飲める。病棟にはかき氷の器具はあったが、ミキサーはなかったので、本当に便利だった。

 そのままペットボトルにつけられるのが「キャップ付きのストロー」。片方の手しか使えない点滴中でも、顔を横に向けるだけで、簡単にお茶や水が飲めるし、こぼれない。こんな「すぐれもの」なのに、病院の売店には売っていない。

 そんなグッズをはじめ、抗がん剤に関する資料や新聞記事も送ってくれた。日がたつと、だんだん足が遠のくのが普通なのに、折に触れて旅先からきれいなカードが届く。訪ねてくる時も、前もって電話で私の様子を確かめたうえで来てくれる。ノックも軽く静かで、彼女のすることには、いつも、こまやかな心遣いがこもっているのだ。

 相手の立場で考えるのさえ、なかなか難しい。相手の身になって動くことは、さらに難しいと思う。彼女は自分の患者体験があって、それを生かしている。私もいま、「自分が体験していることを、必ず生かしていかなければ」と思うのだが、「私にできるのだろうか」という不安もある。

 そういえば、夫も長い入院を体験しているはずなのに、持ってきて欲しいものは忘れる、ドアノックは響き渡る、来ても黙って座っている…。「もーったら!」と、じれったくなる。でも、「毎週一回来るだけで大変なんだ」という一言に、返す言葉がなかった。

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