中国新聞
2003.10.13

海底再生
   道のり遠く
 「里海 いま・みらい」  6.海砂採取の傷跡



調査結果と展望 藻場 地元の反応 各県の動き

◆海砂の形成◆ かつての陸地浸食したまる
 瀬戸内海の海砂は、大半が海底からの供給で形成された、と考えられている。瀬戸内海は、氷河期が終わり海面が上昇した約1万年以前は陸地だった。海砂は、潮流でかつての陸地などが浸食され、流れが穏やかなところへたまった。
 以前は川からの供給説もあったが、最近の研究では、各地にダムが建設される以前を含めても一般的には、わずかとされる。地球史的にみると川からの砂は大部分が扇状地や平野の形成に使われたことが判明している。

 



Photo
旧採取区域の海底。5年半前に比べ、石の周囲に砂泥の堆積がみられるが、その変化は微々たるものでしかない(4日、広島県瀬戸田町の高根島西側、水深36m=地図(2)の地点)

Photo
採取の全面禁止後に復活した藻場(4日、三原市幸崎沖、水深約2メートル=地図(3)の地点)

サンドウエーブの移動状況
グラフ「サンドウエーブの移動状況」サムネール
クリックすると拡大します



  調査結果と展望

砂山移動 堆積わずか
自然の力に任せ生態系の回復を

 長年にわたる海砂採取で失われた瀬戸内海の海底環境は回復するのか―。産業技術総合研究所中国センター(呉市)の海洋資源環境研究部門などの研究グループはこれまでの調査で、潮流などによる新たな砂の堆積は現在も続いていることを確認。竹原、三原市沖の海底では砂丘のようなサンドウエーブが移動していることも判明したが、数十年、数百年では元の姿に戻ることはない。

 瀬戸内で採取された海砂は、1968年からの約30年間だけで約6億立方メートル。違法な超過採取分を除く許可量だけでも、自然が2、300年もかかってつくった分を1年で消費した計算になるという。

 こうした実態を踏まえ、研究グループは2000年度から5年計画で、採取後の地形や潮流の変化、海底の回復状況、藻場の状況、生態系への影響、資源量の算定などの調査、分析を進めている。

 海底地形は、愛媛大沿岸環境科学研究センターの井内美郎教授(54)らが担当。音響測深機を使い、旧採取区域を中心に海底地形を精密に調べた結果、竹原、三原市沖の一部海域ではわずかながら回復傾向にあることが分かった。

 サンドウエーブはいくつかの砂山が海底を移動する現象。瀬戸内海の海砂生成史とも深く関係し、潮流の影響で起こる。三原市幸崎沖では高さ5メートル前後、幅約30メートルの砂山が西方向に、昨年9月からの約1年間で20〜40メートル移動していた。

 「砂の動きが示すように自然の修復力は機能しているが、人間による自然破壊のスピードに比べれば微々たるものでしかない」と井内さん。今後、海砂採取跡を含めた一帯に砂がたまるのは千年で高さ数メートルとみている。

 一方、人為的な修復策として採取跡に別の砂を入れたり、砕いた貝殻をまいたりする方法もある。しかし、産業技術総合研究所中国センター研究員の星加章さん(55)は「採取跡地は広大で、現実的ではない。せいぜい採取の影響が特に大きい個所での局所的な対応に限定される」とみる。

 自然に手をかけながら環境浄化や海の幸回復を目指す里海づくりの対極にある海砂採取。その代償はあまりに大きく、抜本的な解決策はない。

 ただ星加さんは、魚が産卵し育つ藻場が戻りつつあることに希望を見いだす。「自然の再生力に任せながら、生態系を回復させる手法をとる方が効果的」と考えている。

 


Photo
海砂採取禁止後、藻場が拡大している竹原市の吉名港付近(8月27日)

竹原市吉名町沖のアマモ場分布の変遷
地図「竹原市吉名町沖のアマモ場分布の変遷」サムネール
クリックすると拡大します



  藻場

透明度増し吉名(竹原)2.2倍

 海砂採取の全面禁止後、採取海域だった竹原、三原市沖などで藻場が次第に回復していることが、産業技術総合研究所中国センターが芸予諸島周辺海域で行った調査で分かった。

 海水の透明度改善が主な要因とみている。竹原市吉名町では採取中に比べ藻場面積が2・2倍に広がった。

 県内での海砂採取は、船から海底の土砂を吸い上げていた。ふるいにかけ、不要な石や泥は海水とともに海へ再放流していたため、濁りが拡散し、透明度も低下。微粒子が藻の表面に付着し、生育を妨げていた。

 吉名町の吉名港沖は、採取区域だった阿波島西岸の西約4キロ、旧忠海採取区域の西約12キロ。同センター海洋資源環境研究部門などの研究グループが昨年12月に実施した調査では、藻場面積45・2ヘクタール、透明度4〜4・8メートルだった。

 研究グループは、広島県などが調べた過去のデータと比較。1976年5〜7月は面積65・4ヘクタール、透明度5・8メートルだったが、大量採取が続いていた89年5〜7月は21ヘクタール、3・1メートルに落ち込んでいた。

 採取禁止から1年4カ月後の99年6月は33・4ヘクタール、3・5メートルで、確実な回復傾向を示している。

 一方、海底撮影でも三原市西部の海域に藻場が復活しているのが確認できた。

 


Photo
海砂採取跡の海底の映像を船上のモニターで見る吉田さん(左)と寄能さん(4日、竹原市の大久野島沖)

 地元の反応

「まだまだ」漁業者苦しむ

 「これじゃ、魚はすめない。本格的な回復はまだまだ先じゃね…」。中国新聞の海底撮影(4日)に同行し、モニターに映る海底を見つめていた瀬戸内海海砂採取全面禁止同盟会世話人の吉田徳成さん(74)=竹原市=は残念そうにつぶやいた。

 地元の芸南漁協組合員で、一帯の海を知り尽くしているという寄能豊喜さん(74)も同行。「砂場で育つイカナゴがほとんどいなくなった。イカナゴを狙う大きな魚も来ない」と、海砂採取による生態系への深刻な影響を訴える。

 採取の全面禁止で、タコつぼ漁も好転すると期待していたが、「えさになる貝などが減り、タコもとれん」と寄能さん。代償の大きさを今更ながら感じる、と言う。

 それだけに、砂がたまり始めたとする井内美郎愛媛大教授らの研究成果に注目し、「再生の芽生えと感じたい」と吉田さん。海の再生力を信じながらも、「採取の禁止後も漁業者が苦しんでいるのを広島県など行政は分かっているのだろうか。もっと綿密な調査を続けてほしい」と訴えた。

 
 
 各県の動き

愛媛・香川 採取続く

 瀬戸内海での海砂採取は1998年2月、広島県が全面禁止して以降、中止へと大きく動きだした。当時、採取を続けていた岡山、香川、愛媛、大分県のうち、大分が2000年5月から港湾区域で原則禁止、岡山が今年四月から全面禁止した。香川は05年4月、愛媛は06年4月からの全面禁止を決めている。

 瀬戸内法に基づく瀬戸内海環境保全基本計画では、海砂採取を最小限にとどめることや、やむをえない採取の場合は環境面への配慮を求める。

 住民グループ環瀬戸内海会議などは、採取を続ける香川、愛媛両県に、禁止時期の前倒しを求めているが、両県は既定の方針を変えていない。