豊平どんぐり村の四斗だる。「新球場ができるといいねえ」「少しでも力になりたい」。大きな夢と期待が集う(昨年12月11日)



 広島市民球場から車を北に走らせ一時間。体育施設や飲食店がそろう広島県豊平町の道の駅「豊平どんぐり村」に、四斗だるがある。体育館出口でスポーツウエアの人たちがお金を寄せるのが、すっかり日常風景になった。隣の大朝町から訪れた体育指導員天津巧司さん(55)は「私たちの町でもやりたい。仲間と相談します」とたるを見つめた。

子どもの楽しみ

 募金は道の駅を運営する財団理事長でもある前田達郎町長(76)が提案し、昨年十一月二十日に始めた。どんぐり村では年一回だが、カープの二軍戦がある。プロ選手の生のプレーに一喜一憂する子どもたちの表情は格別だ。立ち上がったのは、子どもの楽しみをこれからも守るためでもある。

披露宴会場のたるの前で、野球仲間と談笑する黒田竜朗さん=左端=と母の佐代子さん=左から2人目(広島市中区のホテル)


 「古く狭いとのイメージを変えないと、市民球場に客は来ない」と前田町長。「郡部でも動き、新球場の魅力と必要性を全県民にアピールしたかった」と言葉をつなぐ。
 カープにゆかりのある人の思いも熱い。一九六一、六二年にカープを率いた故門前真佐人元監督の孫、内装業黒田竜朗さん(30)=広島市東区=は、十二月十二日、広島市内での自分の結婚披露宴会場に四斗だるを置いた。
 幼いころ、既に引退していた祖父と毎試合のように市民球場に通った。山本浩二監督らが選手時代の強い赤ヘルに刺激を受けて野球を始めた。広島六大学野球では首位打者に。共に練習に励んだ仲間は、披露宴でも抱き合い、涙を流して祝ってくれた。
 「野球のおかげで素晴らしい友人と出会えた。形は違っても、市民はみんな、カープに恩があるんじゃないかな。その恩に報いるためにも、新球場ができたら」。黒田さんは思う。

新しいスタイル

 広い思いをくみ上げるたる募金。「元祖」時代には思いもよらない新しいスタイルも登場した。
 一日から広島県内でキリンビールを飲むと、もれなくたる募金に積み立てられる。長年、広島工場で操業を続けた同社が考えた。中区のリーガロイヤルホテル広島の飲食店八店も、食べると百円が募金に回るランチを出している。
 職場などの仲間でお金を集める昔ながらのやり方も根強く生きている。双葉運輸(西区)は、県内外の十営業所に募金箱を置き、五十万円を集めた。
 募金の輪は今、中国地方はもちろん、東京、大阪、兵庫など全国へと、かつてはなかった広がりをみせる。カープの新たな本拠となる新球場建設は、もう広島だけの「夢」ではない。それぞれの場所で、それぞれの形で、その夢をかなえる営みが続く。
 故門前監督はカープが火の車だった五二年から五六年に現役だった。娘で、黒田さんの母、佐代子さん(59)=東区=は、給料もまともにもらえない父が、繰り返したる募金の話をしていたのを覚えている。「あのころファンの温かさをひしひしと感じた。久しぶりに同じ温かさを感じ始めています」


熱意あふれる裏方さん

 現代版たる募金を支えるのもまた、市民参加型の裏方さんたちだ。
 毎週月曜朝、広島市中区の広島信用金庫土橋支店に、硬貨がぶつかり合う音が響く。週末に各地のイベントに登場したたるを傾けるのは、支店長代理の徳永秀利さん(39)。多い時には五個に上るたるの中のお金を、紙幣と硬貨により分け、数える=写真右
 オープニングイベントで使ったたるは、五人が丸一日がかりで集計した。窓口の対応に追われる職員も、合間を見ては手伝った。それでも徳永さんは負担に感じないという。「募金額が多いほど、集計に時間がかかる。私たちの能力を超えるほどのたるが来る日が待ち遠しい」とまで言う。

 推進委が持つたるは
二十個ある。酒どころの東広島市をはじめ、呉、廿日市市の五社が無償で提供した。半数の十個を出した東広島市の賀茂鶴酒造の佐々木隆一専務(55)は「市民の熱意を集める器を提供できてうれしい」。たるの第二の人生を喜ぶ。
 警備のテイケイ西日本(中区)は、八個のたるを管理し、搬送も請け負う。一連の作業の料金は通常の五分の一。たるのふたや錠の点検も欠かさない=同左
 松平直佳・工務警備課長(37)は募金の受付時間が終わるとき、いつも後ろ髪を引かれる思いになるという。「募金の列が途切れないんですよ。私が運んでいるのは現金じゃなくて、みんなの気持ちなんですね」



数える・運ぶ…みんなの心




  


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