市民球場は青春の原点

応援歌をつくった
堂珍嘉邦さん(26)

 

 スタイリッシュなイメージの二人組CHEMISTRY(ケミストリー)のクールな方―というのが大方の見方。その堂珍さんが、広島東洋カープの歌を作り、タイトルが「わしを市民球場に連れてって。」だから、戸惑った人も多いはずだ。本人に言わせると、「自分を『わし』とは呼ばないけど、僕の名刺みたいな歌」という。  実家は安芸高田市八千代町。家族で広島市民球場にカープを応援に行くのが、夏休みの楽しみだった。畑になったメロンやウリを容器に詰めて持って行った。
 愛読書は、甲子園への夢と恋模様を描く青春漫画の名作「タッチ」。学校から帰ると、壁に向かって球を投げた。プロ野球は名鑑を片手に、ドラフト下位からの飛躍、大けがからの復帰といったドラマを追っていた。
 高校を出て、望んだ音楽の道はなかなか開けなかった。生活のためのアルバイトで、浮かんだのはあこがれの市民球場だった。入場券のもぎり、警備もやった。「大野さんは、バイトの僕にも必ずあいさつしてくれた」「若手もいい車に乗っていて、夢が生きてる世界だと思った」…。思い出が次々口をつく。
 今度の歌は、実は初めての作曲である。「自分の持っているもの、自分にしかできない曲を考えると、カープだった」  手拍子しながらスタンドで合唱するような曲調ではない。♪上司のお小言かっ飛ばしてちょうだい―なんて詞もある。誰に頼まれたわけでもない応援歌は、大リーグ風のスマートさとはほど遠い。「酒飲みながら愚痴をこぼすサラリーマン」という市民球場の愛すべき原風景となった。
 故郷を自慢するとき、野球、サッカー、二つの世界遺産を記号のように挙げていた。今は広島の時の流れや人の言葉、接し方を掛け替えないと感じる。カープや市民球場も、その延長だと思う。
 四月に広島に戻り、飲食店にあった「たる」に一万円入れた。夕暮れの原爆ドームと路面電車、照明灯のつき始めた球場が一体となる風景は変わってほしくない。音楽の先輩、奥田民生さんが昨年の初ライブで確認させてくれた市民球場の味を、大事にしたい。「地元なんだからもっと球場へ行って、選手をもり立てましょうよ」。広島で取材を受けるたび、そう繰り返す。



【写真説明】「市民球場はビールのにおいがプーンとして…。そういうのが嫌いじゃないんです」と語る堂珍さん(20日、広島市南区の広島エフエム放送)

どうちん・よしくに
新庄高(広島県北広島町)では、カープの永川投手の2年上。テレビ番組のオーディションで勝ち進んだ川畑要さんとCHEMISTRYを結成し、2001年にデビューした。デュオ名は2人の声が生み出す「音楽的化学反応」に由来する。

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