タイトル「ひろしま 都心のあした」
  パート 4  平和記念公園

    ■ 振り返って ■
      平和発信の場 開放を

写真
都心にある平和記念公園。真に平和を体感できる場への転換を望む声が高まりつつある(広島市中区)

■規制多く市民遠ざかる
■市は一歩踏み出す時期

 ヒロシマを象徴し、原爆ドームなど数多くのモニュメントがある平和記念公園(広島市中区)。原爆死没者の慰霊を重視して「聖域」として守ろうというのが、従来の平和行政の在り方だった。それに対し、新たな表現による平和の発信や「憩い」を可能にするため利用法の転換を望む声が出ていることを、報告してきた。公園の向かう道は? 読者の反響を踏まえつつ、取材記者が話し合った。

(都心取材班 増田泉子、門脇正樹)


「昔は芝生に」

  四月二十一日付の一回目で、大勢が芝生広場でくつろいでいる一九八四年の写真を載せた。服装や持ち物から、観光客じゃなくて地元の人たちよね。写真のいい雰囲気に、「昔は芝生の中に入れたんじゃねえ」と記憶を呼び起こした人が多かったね。

  東区の主婦(29)からの電子メールには、「芝に入ろうとする子どもを何度も連れ戻しているうちに、寂しい気持ちになった。こうやって気持ちまで離れてしまうのかも」とあった。祖父の名が納まっている慰霊碑前の芝生で、両親や祖母と遊んだ楽しい思い出があるという。元気に遊ぶわが子の姿をおじいちゃんに見せたい―。そんな平和や慰霊の姿があってもいいと思った。

  今、芝生を開放したら、写真みたいに大勢が来るかね。ある経営者が社員四百人に「最近平和公園に行ったことあるか」と聞いたら、ほとんどおらんかったんと。規制だらけになってきたこの十数年で、市民の心が離れたんじゃないかね。

通り道の感覚

  島根出身の僕が公園内をしっかり歩いたのは、二十年近く前の小学校の修学旅行のときくらい。初めて見た原爆資料館は衝撃だった。今は、会社から取材へ向かう通り道の感覚。休みの日に公園でのんびり過ごそうとは思わない。

  市民だけじゃなくて研究者や行政マンなど立場の違う人たちが、「今のように閉じていては、平和の発信力は低下するばかり」と口をそろえたのが印象に残る。

中学生も訴え

  「厳しく管理するのは、本当の平和じゃないと思う」とファクスをくれた女子中学生もいた。平和を願うコンサートや人文字だって、市は「よその場所でもできることは、よそでやってもらう」。平和記念公園でやった方が意味合いが増して、世界にもわかりやすいのに…。

  締め付けすぎると、気持ちがいらついていたずらが増えるという意見もあった。公園は「もう少し懐の深い、寛容な場であるべきだ」という声は、今の最大公約数だと感じるけど。

  市の公園一帯の保存・整備に関する有識者・市民アンケートは、公表までに半年もかかった。「自由意見の記述形式だったから、集約に時間を要した」が理由。いずれにしろ、主だった意見は出尽くしたような気もする。市が一歩踏み出して、公園でできることできないことの線引きを始める時期だと思う。

(おわり)

2004.5.12