●歴史や蓄積に敬意を払おう
●人が集まる利点を生かそう
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広島市の中心を「都心」と呼んでいいのか。取材班にも当初ためらいがあった。読者にアンケートをしたら、中区の紙屋町・八丁堀地区を中心とした二キロ圏というコンパクトな都心像が浮かび上がった。
CO2削減や渋滞の緩和、里山や海辺の保全などを進めるためにも、郊外化に歯止めをかけて人を都心に呼び戻すべきだ。そんな主張が、研究者間で一般的になりつつある。住宅団地が張り付いた郊外でも高齢化が進み、やがて人口が減る。マイカー依存の暮らしが立ち行かなくなる日が来るかもしれない。
都心への誘導はしかし、容易ではない。地価は下落傾向とはいえ、高止まりだ。環境問題からの視点は、短期的な経済性では劣勢である。娯楽も含めた商業集積は都心ならではの魅力だが、生まれたときから郊外型大型店しか知らない世代に説得力は持たない。
それでもなお、都心は要るのだろうか。
夢実現の舞台
中国地方総合研究センター(中区)は都心を産業が生まれる場ととらえ、都市型サービス業の調査・分析を進めている。飲食、教育からエステまでの生活関連、コンサルタントなどの産業支援といった分野で共通して浮かんだものがある。都心の顧客の目の高さと豊かな人材ネットワークだという。
たとえば美容院の世界では「並木通り(中区)に店を持ちたい」という夢が生きていた。競争相手にもまれ、消費者のふるいにかけられながら、洋服や社会風俗など生の流行情報を肥やしに、人気店を目指す―。
「いろんな人が集まるからこそ、多様で奥行きのある場が育つ。必要最小限の情報を得るだけの情報技術(IT)にはできない注文。都心は夢をかなえる舞台でもあったんです」。主任研究員の佐藤俊雄さん(49)には発見だった。
経済成長に伴い市街地の地価が上がり、人も街も郊外へ延びたこの四十年間。広島では住宅こそ郊外に出たが、商業やサービス業などの都心機能は狭い枠内に何とか収まっている感がある。海と山に挟まれ無秩序に膨張できなかったことが、幸いした。
凝縮の時代へ
連載中、中国地方の他の都市の人たちから「せめて広島は『街へ出る』行動ができる都市として残ってほしい」との声を聞いた。マイカーに依存し、他人の視線を気にしない生活は、身だしなみを整えるなどの「公」の振る舞いを失わせていくというのだ。
広島市の推計では二〇三〇年、人口は一九九〇年ごろと同じ百七万人余りに減る。現在15%程度の六十五歳以上は、27%を超える。拡大から凝縮へ、時代は移る。
新しさばかり追わず、今ある財産に敬意を払おう。都心は計算ずくでつくれない。蓄積に人が吸い寄せられ、刺激し合ってできた空間である。しかも広島の都心は、狭さゆえ、人間の顔が見え、息遣いがわかるヒューマンスケールである。凝縮の時代にふさわしい器といえる。
広島は「一周遅れのトップランナー」になれる。都心は要るのだ。
「ひろしま都心のあした」は今回で終わります。増田泉子、門脇正樹が担当しました。
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2004.7.22
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