●規則に頼るまい
●新しいコミュニティーを育てよう
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広島市中区の本通り商店街には、制服や腕章の指導員がたくさんいる。自転車乗り入れや駐輪の禁止、黄信号での横断への注意…。指導の目的はさまざまで、所管も市、区、中央署などと分かれる。市は歩きたばこやポイ捨てを禁じる条例を作り、今年からは罰則も科すようにした。毎日、のぼりを立ててパトロールする。
「最近、規制ばかりで息が詰まりそう」。そんな声も少なくない。人海戦術による規制の徹底は、非生産的部門への税金投入でもある。そもそも広島の人たちは、これほど行儀が悪かっただろうか。
一方でこんな話もある。京橋川右岸のオープンカフェは四年前に始まって以来、吸い殻が落ちていたことがないという。パラソルや掃除が行き届いたテーブルといったしつらえの前では、人は自然とふさわしい振る舞いをする面もある。
芥川賞を受賞した「パーク・ライフ」という吉田修一さんの小説がある。東京の日比谷公園に集う他人同士が、互いの存在を認め、気にかけ、時に会話を交わす。「関係」とまで言いにくい、場の空気を描く。
場の空気共有
不特定多数がすれ違う都心だからこその流儀。通りすがりの人も、その場の空気を読んで溶け込む。空気とは、市民意識の反映ともいえる。成熟したまなざしは、常識はずれの行為にブレーキをかける力もある。平和記念公園の監視カメラも減らせるのではないか。
そんな空気は、新たなコミュニティーを生み出す可能性もはらむ。
前広島市長で中国・地域づくり交流会会長の平岡敬さん(76)は最近、街なかの総菜屋で見た光景が忘れられない。おかずを買いかけたおじいさんに、店のおばさんが「それはきのう買うたんと一緒じゃから、こっちにしんさい」と声をかけたのだ。
「いい感じで、人がつながってるなあと。われわれは生産や機能ばかり追求して、ものを言わんでも済む街をつくってしまったから」。かつての農村の濃い地縁。「孤独死」という言葉まで生んだ都会の匿名性。その中間の「ほどほどの距離感」が、人間の信頼関係を取り戻す鍵だと平岡さんは考える。そのヒントを、店先のおしゃべりに見つけた気がした。
常連客が団結
阪神大震災の時、「同じ飲み屋の常連」といったコミュニティーが力を発揮した例がある。多くが震災後にできた兵庫県のまちづくり協議会には、自治会に趣味やボランティアのサークルなどが加わる。年功序列でないし、地域の広がりが持てる強みもある。
ルールだ、マナーだと看板を林立させなくても共有できる価値観。人々が集まる店や余暇活動を媒介にした都心ならではの新たなコミュニティー。政策や制度で誘導しにくい分、時間はかかるだろう。だがそんな街の雰囲気が個性や文化と呼ばれるようになり、広島らしい気風を形作っていくのではないだろうか。
2004.7.21
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