瀬戸内海国立公園指定70周年
「ふるさとの海」  1.瀬戸の朝焼け 芸予諸島

     暮らしの営みを
       刻みながら
         潮の干満が絵を描く
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Photo
上空9000フィートで迎えた芸予諸島の夜明け。淡い橙色に染まる瀬戸の海面、島々のシルエットが絶妙のコントラストを描く
図「写真の島々」
地図「撮影場所」

 御来光。九千フィート(二千七百四十メートル)まで高度を上げたヘリコプターの機体をたおやかに照らす。日が昇るにつれ、橙(だいだい)色の射光が海面にも届き始め、淡く染める。瀬戸内海のほぼ中央部に位置する芸予諸島。島々が漆黒の眠りから覚め、シルエットとなって浮かび上がった。

 紀淡、鳴門、関門、豊予の四海峡で外海と区切られた瀬戸内海。東西四百四十キロの海域に島々が点在し、岩礁なども含めれば三千ともいわれる。穏やかな海は交通路として古くから栄えた。一帯ではさまざまな暮らしの営みが刻まれ、奥深い文化をはぐくんできた。

  最大の美術館

 「瀬戸内海は世界最大の美術館。しかも、潮の満ち干で表情を変える。日々の生活のにおいもある。動くアートなんだ」と水墨画家の三戸博成さん(71)=広島市南区。島、岬、海峡、浜、港、もやう船、海沿いの家並み、段々畑…。「展示作品」は無数にある。だれでも好きな風景を観賞できる。絵にするもよし、脳裏に焼き付けるもよし。

 三戸さんは月に三〜五回、素描に出向く。昨年末は芸予諸島を見渡せる因島の高台で寒風に耐えた。瀬戸内海を題材にした作品は約千点。「世界に誇れる景観をあらためて見直し、より多くの人に伝えたい」との信念が筆を走らせた。

 多島美に代表される景観は国内はもとより海外でも知られる。奈良県立大教授の西田正憲さん(52)=風景論=によると、瀬戸内海をまとまった景観として最初に称賛したのは、十九世紀に瀬戸内海を船で往来した欧米人だった。

 その一人がドイツ人医師シーボルト。近代の風景観、地理的な視点から「内海」「多島海」として面的にとらえ、著書などを通じて紹介した。

  瀬戸内海誕生

 かつてわが国では神話や文学に関連した名所旧跡、万葉の歌枕の地など伝統的な風景を点としてとらえる傾向が強かった。瀬戸内海の全体的な自然美を評価する視点はなかったとされる。海峡を意味する「瀬戸」、入り江や湾を指す「内海(うちうみ)」という言葉はあったが、「瀬戸内海」という呼称が使われ始めたのは明治初頭とみられる。一般に広まったのは明治後期からで、こうした変化が国立公園の誕生につながったと言える。

 瀬戸内海が、わが国最初の国立公園に指定されたのは一九三四(昭和九)年。この三月で七十周年の節目を迎える。「ふるさとの海」を訪ね、自然や風景、暮らし、生業(なりわい)などさまざまな視点からシリーズで紹介する。

2004.1.4

文・三藤和之、写真・荒木肇


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