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 一九五四年のビキニ被災事件は国内に、原水爆禁止運動を燎原(りょうげん)の火のように広げた。それから半世紀。核兵器廃絶を求めるスローガンこそ不変ではあるものの、政治色の強まりや組織分裂を経て、広範な大衆運動という「原点」から遠ざかってはいないか。被爆地での今年の世界大会を通して、運動の現状と課題を探る。
1 進行固定 市民と距離も (2004/8/03)
2 掲げる思いどう伝える (2004/8/04)
3 今なおかみ合わぬ思惑 (2004/8/05)
4 「風化」させぬ方法探る (2004/8/06)
5 市民巻き込む方策探る (2004/8/07)

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統一論議
今なお かみ合わぬ思惑


 「被爆者のメッセージに耳を傾け、人類共有の歴史に」。秋葉忠利広島市長は四日、日本原水協系、原水禁国民会議系がそれぞれ開いた、原水爆禁止世界大会広島大会の開会総会でほぼ同じあいさつをした。

消極的な両者

 会場はともに広島市中区の県立総合体育館。原水協の総会が終了すると「いま、核兵器の廃絶を」と書いたステージ上の看板が、「核も戦争もない平和な21世紀に!」と記された原水禁の看板に入れ替わり、一時間足らずで原水禁の総会が始まった。参加者たちは同じ場所で「別々に」平和運動家や被爆者の訴えに耳を傾けた。
 一九五四年のビキニ被災事件を機に全国に広がった原水禁運動。思想、心情を超えた大衆運動は次第に政党色が色濃くなり、旧ソ連の核実験の是非をめぐって社会党勢力と共産党勢力が対立。六三年の原水爆禁止世界大会で分裂、社会党勢力は原水禁国民会議を結成した。七七年、統一大会の開催にこぎつけたが、強まる政党色を背景に八六年に再び分裂した。
 「統一すれば、大衆運動としてさらに拡大する」―。かつて運動にかかわった人たちが口にした主張は今、原水協、原水禁からはなかなか聞こえてこない。

 原水協は九九年七月、原水禁を含むあらゆる平和運動との「対話、交流、共同を進める」との声明を発表。高草木博事務局長は「今もこの姿勢は変わっていない」と説明するが、統一への具体策を示しているわけではない。原水禁の福山真劫事務局長も、原水協への共産党の影響力などを挙げ「(統一は)現実的に不可能」。むしろ、原水協以外の平和運動との連携を重要視する。

「大胆さ必要」

 しかし、両団体が運動のよりどころとしていた共産党も、社会党から名を変えた社民党も、自民、民主の二大政党制への流れに対抗できていない。「本当は『禁』とか『協』とか言ってる場合じゃないんだけどね」。毎年、原水協系の大会に参加する男性(74)は平和運動家のメッセージを聞きながら漏らした。
 「国会では共産党も社民党も縮小の一途。共通する部分で手を組むくらいの大胆さがないと。原水禁運動も同じだ」。思いの裏には、現実味を帯びる憲法改正や自衛隊のイラク派遣などで「被爆国のメッセージの力が失われるのでは…」との不安がにじむ。