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 一九五四年のビキニ被災事件は国内に、原水爆禁止運動を燎原(りょうげん)の火のように広げた。それから半世紀。核兵器廃絶を求めるスローガンこそ不変ではあるものの、政治色の強まりや組織分裂を経て、広範な大衆運動という「原点」から遠ざかってはいないか。被爆地での今年の世界大会を通して、運動の現状と課題を探る。
1 進行固定 市民と距離も (2004/8/03)
2 掲げる思いどう伝える (2004/8/04)
3 今なおかみ合わぬ思惑 (2004/8/05)
4 「風化」させぬ方法探る (2004/8/06)
5 市民巻き込む方策探る (2004/8/07)

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被爆者と
「風化」させぬ方法探る


 「被爆者がいなくなれば、日本はまた戦争を始めるのではないでしょうか」
 広島市内で五日にあった原水禁国民会議系の原水爆禁止世界大会広島大会の分科会。米国原爆被爆者協会サンフランシスコ支部長の下幸子さん(73)は、集まった約百人に不安を打ち明けた。
 同じ日、日本原水協系の原水爆禁止世界大会広島の分科会も開かれた。同市西区では、被爆者の土岐龍一さん(79)が「あの日」の惨状を語った。集まった大学生たちと握手をして別れた後、土岐さんは気がかりな表情を浮かべた。「若い人が関心を持ってくれればいいが」

運動の「原点」

 原水爆禁止運動にとって、自らの体験を基に平和の大切さを語る被爆者たちは大切な「原点」だった。一方、被爆者にとって世界大会などは、自分たちの苦しみや核兵器廃絶の願いを訴える「舞台」でもあった。
 しかし、核兵器廃絶は実現せず、どちらの世界大会でも「核」を中心に幅広いテーマで討論が繰り広げられるようになってきた。一方で被爆者の高齢化と減少が進む。「あの日」を語る生の声は、徐々に小さくなっている。

二世と連携も

 運動を進める側にも危機感はある。原水協系の河井智康・世界大会運営委員会代表は「被爆者が若い人たちに語り継ぐ役割を担ってもらえるような流れをつくり出したい」。広島県原水禁の金子哲夫常任理事は「被爆二世との連携を強めていくことも必要だ」。映像や文字による証言の記録など、原水禁も原水協も、被爆体験の継承方法を摸索する。被爆者の直接の訴えに比べると、まだもどかしさが交じる。
 「年齢には勝てんよ」。原水禁系の大会に参加する日本被団協代表委員の坪井直さん(79)は、継承が年々困難になる現状を冷静に受け止める。「だからこそ、平和運動との協力が不可欠。それが継承にもなる」。原水禁運動にかける期待は今も昔も変わらない。
 「分かろうとする努力は続けたいが、本当の気持ちは被爆者本人にしか分からないと思う」。原水協系の分科会で土岐さんの証言を聞いたフリーターの男性(22)はそう言った。人類は核兵器と共存できない、と身をもって警告し続けてきた被爆者たちから体験を受け継ぐタイムリミットは迫ってきた。