四百年近い歴史を持つ国の名勝「縮景園」(広島市中区)は中国地方を代表する名園である。今は深緑に覆われ、静かさをたたえる庭園も六十年前のあの日、木々は焼き尽くされ、炎に追われた多くの人たちが逃げ込んだ。知られざる縮景園の一面を追った。

「縮景園の8・6」
1:秘密部隊 |  2:被爆イチョウ |  3:遺族の思い |  4:石柱漂流 |  5:家元の祈り

 石柱漂流


  県北の地で生徒見守る

 
 被爆した一対の石柱は約六十キロ離れた広島県北の三次市の塩町中学校にあった。縮景園内の観古館の門だった石柱は今、校門として再利用され、生徒を見守っている。

 花こう岩製の柱は高さ約三・五メートル、一辺四十五センチの角柱。旧広島藩主、浅野家の宝物を納めていた観古館の門にふさわしく、上部には重厚な装飾が施してある。

 一九七一年、塩町中が現在地に新しく校舎を建てた際、校門もできた。その時、石柱が校門に転用されたことを示す記録が同校に残る。

 なぜ三次にあるのか。ある人は「当時の教育関係者が今度、いい門が広島から来ると話していた」と言い、別の人は「三次に広島藩の支藩があったことと関係あるのでは」と推測する。今でははっきりした経緯は分からない。

 被爆に耐えた石柱は黒ずんだ部分があるものの風格を漂わせる。同校の瀬尾匠史教頭(49)は「生徒たちにとって、原爆の悲惨さを身近に感じられる遺物。しっかり学んでほしい」と願っている。

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