中国新聞社
爆心地「中島」の営み 今はなき写真館の記録 '10/8/4

 原爆は広島の街並みを収めていた写真館も焼きつくした。現在の平和記念公園(広島市中区)にあった「スター写真館」が撮り、今回見つかった写真は被爆前の広島の繁華街を鮮やかによみがえらせる。1945年8月6日に何が起きたのかも問い掛ける。

 スター写真館は、古くは29(昭和4)年版の「広島商工案内」(商工会議所発行)に名称が現れる。経営者は「稲岡善三郎」さん。写真を保存していた岩国市に住む森本佳代子さん(70)の祖父だった。

 「父の重本一広が祖父が始めた店の経営を担い、私は中島で生まれましたが、日米開戦の直前に写真館を弟子に譲り、軍の写真班として満州(中国東北部)へ一家で渡った」という。

 広島デルタで一、二を競う繁華街の「中島本町40番地の1」にあった「スター」は、人々の誕生や結婚式、子どもとの記念写真から、広島高校(現広島大)の卒業アルバムの制作まで幅広く手掛けていた。

 それが、原爆投下で爆心地一帯となった中島本町の四つの写真館はともに消える。被爆当時に「スター」を営んでいた免出笹市さん(44)の一家4人は全滅していた。森本さんは「父は『店を弟子に任せず連れて行けばよかった』と悔やんでいた」と振り返り、亡き父らの思いも込めて写真を保管してきた。

 市公文書館の池本公二主幹(歴史資料担当)は「広島は原爆により報道機関の写真も消失し、人々の暮らしや街並みを知る手掛かりが少ない。大正呉服店の横看板が写り、中島から本通りまで見渡す写真は市にもなく、被爆前の様子が分かる貴重な資料だ」とみている。(編集委員・西本雅実、藤村潤平)



MenuTopBackNextLast
ページトップへ