中国新聞社
この地から連帯を 「平和のトーチ引き継いで」 '10/8/7


 国連と核超大国。それぞれを代表し、広島市中区であった平和記念式典にともに初めて参列した2人は被爆地で対照的な姿を見せた。潘基文(バンキムン)国連事務総長と米国のジョン・ルース駐日大使。潘氏が積極的に高校生や被爆者と交流した一方、大使は足早にヒロシマを後にした。被爆65年。2人の立場の違いが象徴的に浮かび上がった。

 ▽潘国連総長、子ども・被爆者を激励

 潘氏は6日午後、中区の舟入高を訪れ、国際コミュニケーションコースの生徒115人と対面した。「君たちは未来のリーダー。私たちも最善を尽くすから、平和のトーチを引き継いでほしい」と英語で訴えた。

 同校が開いた平和交流会。ジョークを交えながら、質問にも気さくに応じた。核兵器廃絶の実現性を質問した生徒には「夢物語という人もいるが、目標がないと何も生まれない。本気で取り組めば、達成できない目標などない」と断言。3年脇谷あゆみさん(18)は「広島はさらに行動すべきだと課題をもらった。今日をスタートラインにする」と誓った。

 潘氏は平和記念式典後、原爆資料館で、高橋昭博元館長(79)の被爆証言にも耳を傾けた。「核兵器廃絶は緊急課題。世界のリーダーに必要性を訴える」。聞き終えると、そう繰り返したという。「真剣な表情から熱意が伝わった」と高橋さんは満足そう。

 また平和記念公園の韓国人原爆犠牲者慰霊碑にも参拝した。在日本大韓民国民団(民団)広島県地方本部の姜文(カンム)熙(ニ)・韓国原爆被害者対策特別委員長(91)は「夢のよう。この人が核兵器廃絶を実現するのを見届けたい」と願いを託した。(金崎由美、田中美千子、新本恭子)

 ▽ルース米大使、交流の場なく足早帰途

 平和記念式典には、原爆を投下した米国から初めて政府代表として、ルース駐日大使が参列した。約1時間の式典が終わると、被爆者たちと言葉を交わすこともなく、足早に会場を去った。

 ルース大使は式典の約30分前に会場に到着。秋葉忠利市長と笑顔で握手を交わした後、一般参列者とは離れ、各国大使たちが並ぶ来賓席のほぼ中央に着席した。

 式典が始まると、厳しい表情に。原爆投下時刻の午前8時15分には背筋を伸ばして起立し、黙とうをささげた。時折、額に浮かぶ汗をハンカチでぬぐいながらも真っすぐ前を見据え、秋葉市長の平和宣言などに聞き入っていた。

 式典後は厳重な警備の中、そのまま車に乗り込み会場を後にした。

 米国政府代表の初参加に、被爆者や参列者はさまざまな受け止めを示した。学徒動員先で被爆した山崎登さん(81)=広島市佐伯区=は「核兵器廃絶に向けた雪解けのようだ」と希望を見いだす。

 原爆で姉を失った渡辺ヱミ子さん(80)=大阪府豊能町=は「今でも悲しみが消えない。もっと早く参列し、慰めの言葉も欲しかった」と注文した。

 ルース大使は就任間もない昨年10月、広島を訪れ、原爆慰霊碑に花を手向け、原爆資料館も見学。「広島での体験をオバマ大統領に伝えたい」と言い残していた。

 資料館を案内した前田耕一郎館長は、説明文を読みながらじっくり展示品を見入っていた姿が印象に残っている。「平和を祈る式典に米国をはじめ新たに核保有国が出席したこと自体が大きな意味を持つ」と話した。(馬上稔子、加納亜弥)

【写真説明】<上>「一緒に頑張ろう」。舟入高の生徒と握手する国連事務総長の潘氏
<下>厳しい表情で被爆地の訴えに耳を傾けるルース大使=中央



MenuTopBackNextLast
ページトップへ