▽喪失の叫び 核時代問う
「ちちをかえせ ははをかえせ」。広島で被爆した詩人峠三吉(1953年死去)が原爆詩集にこう詠んで半世紀。平和記念公園(広島市中区)の一角に、文化人や市民が没後10年に建てた詩碑の言葉は、訪れる人たちの胸に重く響く。
峠は爆心地から約3キロの翠町(現南区)で被爆。親類や知人を捜し、廃虚を歩いた。直後の日記に負傷者収容所の惨状とともに「終生忘れ得ず、又忘るべからざるものなりき」と記す。
50年には朝鮮戦争が始まり、核兵器使用の緊張が高まる。峠は翌51年に原爆詩集を発刊し、ベルリンでの世界青年学生平和祭にも送った。他界の翌年、米国の水爆実験で第五福竜丸乗組員が被曝(ひばく)。原水爆禁止運動が広がる中、詩は世界への訴えの一つとなった。
広島文学資料保全の会(中区)の池田正彦事務局長(64)は「言葉の重みを反すうしてほしい」と言う。碑に刻まれた「序」の結びは「くずれぬへいわを へいわをかえせ」。終幕の見えぬ核時代と向き合う叫びである。(写真・宮原滋、文・馬上稔子)
動画はこちら