中国新聞社
2011ヒロシマ
'11/8/2
<時代映す平和宣言7>宣言は世界との対話 宇吹暁・元広島女学院大教授

 平和行政に詳しい宇吹暁・元広島女学院大教授(日本戦後史)に歴代市長の宣言の特徴を解説してもらった。

 浜井信三市長は、最初の平和宣言が印象に残る。米軍の占領下の時期に原爆について「人類の破滅」と言い切った。被爆体験に基づくメッセージとして引き継がれる原点だ。一方、原爆が戦争を「終結に導く要因」とした。占領軍への気兼ねが読み取れる。

 渡辺忠雄市長の宣言は被爆者援護の要請が前面に出ている。国に被爆者の対策の充実を求めることが、市が一番やるべきこととの考えに基づいている。表現も国への陳情書のようなところがある。

 山田節男市長の宣言では抽象的な言葉遣いが多かったが、国際的な視野や時代背景を敏感に感じていた。ベトナム戦争への懸念を繰り返し、核兵器の拡散につながるインドの核実験にも抗議した。世界連邦主義としての考えも宣言ににじんでいた。

 荒木武市長の時代は国連が核問題に関心を持ち始めたころ。国連を通じて核軍縮を働きかける表現が目立つ。平和宣言で世界へヒロシマの主張を伝える流れを定着させたといえる。力を入れた広島での国際会議やシンポジウムの開催にも触れているのは、多くの専門家から意見を聞こうとした荒木市長の姿勢がにじんでいる。

 平岡敬市長は国際的な視野を進化させた。核兵器を違法とする国際司法裁判所の勧告的意見を受け、核兵器禁止条約の実現を訴えた。非核武装の法制化、米国の核の傘からの脱却など政府への要求も具体的だ。

 秋葉忠利市長の宣言にはリンカーン大統領やオバマ大統領など個人名がよく出てくる。文章が口語体なこともあり、考えが伝わりやすい。「オバマジョリティー」など自分の個性を出そうとしている。それだけ平和宣言に思い入れが強く、平和行政での実績報告が多い。米国の核政策を変えたいとの思いから米国民へのアピールも強かった。

 平和宣言は広島と世界をつなぐコミュニケーションの一つである。広島でしかできないことで知恵が必要。何より被爆者の声は説得力があり、被爆体験を公募した松井市長の考えはいいやり方だ。

【写真説明】歴代市長の平和宣言の特徴について語る宇吹氏



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