中国新聞社

ヒロシマの記録'98 印パ核実験 アジア緊迫 米に続き露も「臨界前」
 ヒロシマを取り巻く環境が大きく変化した年だった。インド、パキスタンが五月、核実験を応酬。南西アジアの緊張が高まり、核拡散防止体制の有効性が根底から問われた。核兵器廃絶を訴えるヒロシマの責務として、核ドミノ防止がクローズアップされた。

 広島市安芸区在住の被爆者武田靖彦さん(66)が六月、両国で平和行脚をし、被爆体験を証言。広島でも被爆者や市民団体が両国の市民と連携するなど、平和活動が活発化した。

 平岡敬市長は原爆死没者慰霊式・平和祈念式の平和宣言で、核廃絶への具体的ステップとして「核兵器使用禁止条約の締結」を世界に呼び掛けた。

 四月に開所した広島平和研究所などが主催し、「核不拡散・核軍縮に関する緊急行動会議」(東京フォーラムに改称)の初会合が八月、東京で開かれた。十二月には、被爆地・広島で開催。前国連事務次長で、広島平和研の明石康所長が共同議長を務めた。あと二回開いて来年七月には提言をまとめる。

 国連軍縮長崎会議(十一月)では「長崎を最後の被爆地にする」と、新たな被爆地をつくらせない決意を示す決議が、初めて採択された。

 こうした核廃絶へ向けた国際世論の中、ロシアと米国は十二月、臨界前核実験を相次いで実施。ヒロシマは強く抗議した。

 広島市の原爆資料館の財団委託、小泉純一郎厚相(当時)による原爆死没者追悼平和祈念館建設計画見直し発言など、被爆地が揺れ動いた一年でもあった。その追悼平和祈念館は新年度の国予算に建設費が計上される見通しで、来年冬から工事が始まる。



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