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「病気を押して働いている妻の収入がなければ医療費も払えない」と、将来を憂えるレイ・イングリッシュさん(西パデューカ市)

パデューカ核施設map



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パデューカ核施設による放射性廃液などの投棄で今も深刻な汚染 状況が続くリトル・バイユー・クリーク。1980年代に設置され た防護さくはオハイオ川まで続く(ケンタッキー州西パデューカ 市)

[パデューカ核施設]

 正式名称は「パデューカ・ガス分離工場」。1950年10月、ト ルーマン政権は「兵器用濃縮ウラン製造の倍増」を目指して、従来 のオークリッジ核施設に加え、ケンタッキー州パデューカ市の西約 15キロにあった通常兵器工場を核施設に転換することを決定した。

 51年1月、約14平方キロの敷地のうち約3平方キロを使い、濃縮 工場などの建設に着手。52年末に一部が完成し操業を始めた。初期 の契約企業には、オークリッジ核施設で濃縮ウランの製造経験のあ るカーバイド化学社(現ユニオン・カーバイド社)が選ばれた。

 53年から76年までにハンフォード核施設から取り寄せた使用済み ウラン核燃料は、10万3000トン以上。60年代半ばからは、兵器目 的の濃縮ウランの製造から、急激に増加する原発の核燃料使用へと 移行した。92年のエネルギー政策法により、民間移行のための「米 国エネルギー社」(USEC)が設立された。以来、施設はエネル ギー省に属しながら、98年に完全民営化されたUSECが製造に当 たる。

 これまでに100万トン以上の濃縮ウランを製造。50年間の施設内 外の汚染処理管理は、エネルギー省が担当している。現在の労働力 は約2000人。
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「住民の健康を奪った核施設の責任を問いたい」と話すラリー・イングリッシュさん(西パデューカ)

中国新聞

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21世紀核時代 負の遺産
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パデューカ核施設 下

 隠された汚染 被害拡大 ■ 真実を求め住民提訴
 
 「最近は疲れが激しくてね。少し手も震えるし、自分の思い通り に体が動いてくれないんだ」

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「疲れが激しく、だんだんと仕事がきつくなってきた」と訴える ロナルド・ラムさん(ケビル市)

 小さな自動車修理工場で、一人で車の修理に当たるロナルド・ラ ムさん(49)は、大きな息をひとつついて言った。

 「一九六一年にこの修理工場を開いた父は、九四年に七十四歳で 亡くなった。骨がんでね。小さいときから病気がちの自分は、大人 になって体が汚染された両親ほども長生きできないだろう…」。厚 い胸板、一八六センチの屈強な体つきのラムさんの表情に不安がよぎ る。

 ケンタッキー州パデューカ市郊外にあるウラン濃縮工場のパデュ ーカ核施設から北西へ約三キロ。母親のフランシスさん(80)が今も 住む父母の家の並びの修理工場は、核施設から投棄された放射性物 質や化学物質が流れ出たビッグ・バイユー・クリーク(小川)のす ぐそばにあった。

 「わが家の農地を通っているこのクリークの向こうに核施設があ る。昔はキャベツが腐ったような臭(にお)いがよくしてきたもの だよ」

 仕事の手を休め、クリークのほとりに立ったラムさんは、今も水 底が放射性物質のネプツニウムや重金属物質のカドミウム、化学物 質のポリ塩化ビフェニール(PCB)などで汚染されているという 水面(みなも)を見つめて言った。

 


 そこから農地を百五十メートルほど横切った所に、彼の家があっ た。視界が広がる家の裏からだと、核施設から立ち上る蒸気がはっ きりと見える。休耕中の約〇・五平方キロの農地は、一面雑草で覆 われていた。

 「農地も化学物質で汚染されている。二〇〇〇年九月のエネルギ ー省の調査では、農地の一部から高いレベルのプルトニウムまで見 つかったんだ」

 八九年には地下水をくみ上げていた井戸の汚染も判明した。クリ ークのすぐそばにある父母の家の井戸水からは、プルトニウムや溶 剤のトリクロロエチレン(TCE)、PCBなどが検出された。

 「自分が生まれた五二年にあの工場の操業が始まった。父母も私 も胃腸障害をよく起こしていたけど、井戸水が汚染されているなん て思いもしなかった。その水で野菜作りまでしていたんだから… 」。ラムさんは菜園があったという辺りを指さしながら早口で言っ た。

 父親のウイリアムさんの骨がんが見つかったのは九二年。体内に 有毒の金属物質などを抱えるフランシスさんは、神経障害で手がほ とんど動かなくなった。ラムさん自身も最近は骨の痛みや呼吸障害 がひどくなってきているという。

 七二年に結婚した妻のドリスさん(50)、一人娘のマーティさん (24)の家族三人が使っていた井戸水は、クリークから離れている 分、汚染度が低かった。二人の体には、まだ目立った症状は現れて いないという。「それだけが唯一の救い。でも、不安はいつもあ る」とラムさん。

 エネルギー省が、パデューカ市水道局の上水をラムさんの家など 周辺住民に供給するようになったのは九四年。その間ラムさん一家 らは、風呂や洗濯は井戸水に頼りながら、飲み水は自前でミネラル ウオーターを購入しなければならなかった。

 ラムさんらパデューカ核施設周辺の約百五十人の地主は、核施設 や周辺への環境汚染がマスコミ報道などで明るみに出た翌年の二〇 〇〇年九月、これまでの契約企業を相手に「土地汚染」に対する損 害賠償を求め、パデューカ市の地区裁判所に集団訴訟を起こした。 審理が始まるのは〇三年二月の予定だ。

 「土地は汚染されて買い手がつかない。ここから移り住みたくて も、先立つものもない。訴訟を通じて、われわれを苦しめてきた企 業や国の責任を認めさせたい」と、ラムさんは力を込めた。

 


 彼と別れた後、核施設北東のリトル・バイユー・クリークにほど 近い元狩猟保護官のレイ・イングリッシュさん(60)宅を訪ねた。

 「いらっしゃい」。イングリッシュさんは、玄関先の部屋のいす に腰を掛けたまま不自由な手を差し出した。内に曲がったままの指 は、硬く冷たかった。

 「私の両足は三十カ所も手術痕があるうえに金属パイプも入って いる。両手も十年以上前からこんなありさまでね。心臓も悪い… 」。彼はそう言って自らの手に視線を落とした。

 高校卒業後、空軍を経てパデューカ市で会社勤めをしたイングリ ッシュさんは、六九年に「ケンタッキー州野生動物管理エリア」の 狩猟保護官になった。ちょうど核施設を囲むように約二十平方キロ の森や畑地、クリークがオハイオ川まで広がっていた。

 シカ、リス、コヨーテ、キツネ、アライグマ、ウサギ、何十種類 もの鳥たち、そして魚…。イングリッシュさんたちの仕事は、違法 な狩猟に目を光らせながら、冬場に備えて小麦やトウモロコシなど を栽培して動物たちのエサを確保し、木の枝打ちやごみを処分して 「バランスの取れた生態環境」を維持することだった。

 だが、核施設の敷地に近い管理エリア内には、工場からのドラム 缶や金属がいっぱい捨てられていたという。そのドラム缶を使って ごみや木の枝、手袋など焼けるものは何でも焼いた。

 「ドラム缶には毒性の強い金属物質のクロムが残っていた。クリ ークにはウランやプルトニウム廃液、PCBなどが捨てられ、地下 水まで汚染されていた。何もかもこの数年で知ったことばかりなん だよ」

 イングリッシュさんたちは、日々の仕事を通じて放射性物質や金 属物質を体内に蓄積していった。飲料水は管理エリア内の井戸を利 用した。

 有害物質を体内に蓄積したのは動物や魚も同じ。エネルギー省が 実施してきた七〇年代以後の調査記録には、すべての動物や魚から 高レベルのPCBが検出されたことや、シカの肉からプルトニウム が見つかったことなどが記録されていた。

 「住民は常にエネルギー省や契約会社から『シカなどの肉は安 全。市民は安心してハンティングを楽しんでいい』と聞かされ続け てきた。田舎の人間はみんな当局のいうことを信じている。だから 調査記録に関心を向けるなど及びもつかない」  

 


 七四年五月、イングリッシュさんは心臓発作で倒れた。それ以 後、徐々に体調を崩し、職場には戻れなかった。彼の下で働いた若 年の五人のうち、すでに二人はがんなどで死亡。もう一人は皮膚が んの手術を受け、残り二人も腎臓を摘出するなど闘病中だという。

 「むごい現実だよ。私の家族も全員、重金属物質などで汚染さ れ、病気を抱えている。風下だけに、大気からの放射性降下物によ る被曝もある。が、どれだけ浴びたかなんてさっぱり分か らない」

 妻のルビーさん(56)は、二〇〇一年秋に大腸と甲状腺にがんが見 つかり手術を受けた。二人の子どものうち、長男のトニーさん(37) は糖尿病を患う。二男のラリーさん(31)は四歳のころから体のバラ ンスが取りにくくなり、十三歳で「運動失調症」と診断された。今 では車いす生活を余儀なくされている。

 核施設の汚染問題がクローズアップされるようになって約半年後 の二〇〇〇年春、ラリーさんはテネシー州ナッシュビル市の専門医 の診断を受けた。体内にはアルミニウムやカドミウム、ホウ素など 二十八種類もの有毒物質が異常に蓄積されているのが判明した。家 の井戸水に含まれていた物質とほぼ同じだった。

 最近は激しい頭痛や目まいに襲われることも多い。年とともに悪 化する病状…。

 「ぼくはもう十代や二十代のときのように夢や希望は抱かなくな った。後にフラストレーションしか残らないから…」。ラリーさん がそばから、口惜しさをにじませながら言った。電動車いすに乗 り、家の庭で飼っている四十羽のニワトリの世話をして部屋に戻っ たばかり。そんな彼が固い決意を示すように身を乗り出して訴え た。

 「どうしてもひとつだけ、はっきりさせたいことがある。自分が なぜこんな体になったのか、家族や周りの人たちがなぜこんなにた くさん病気になったり死んだりしているのか、法廷で真実を求めた いんだ」

 イングリッシュさん家族は、土地の汚染に対するラムさんらとの 集団訴訟とは別に、「病気との因果関係が明白である」として、ラ リーさんの「健康障害」への賠償を求め契約企業を相手取り地区裁 判所に提訴した。

 イングリッシュさんらの訴えには、半世紀にわたって企業や国に 欺かれ、汚染物質で体をむしばまれてきた住民たちの怨念 (おんねん)さえ感じられた。


  












































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Negative legacy of nuclear age