english
 
 
 
 

世界動かした子どもたち


佐々木禎子さん  −折り鶴や像 平和のシンボル

Photo
佐々木禎子さん(佐々木雅弘さん提供)

被爆10年後に白血病のため12歳で亡くなった佐々木禎子さんは、同級生たちによる原爆の子の像建設や折り鶴などを通して、多くの人に影響を与えています。生きることに前向きだった禎子さんの思いに共感し、世界中から折り鶴が集まっています。禎子さんをテーマにした本は、子どもたちを励ましています。

小学校の同級生だったリツコ・コマキさん(米国在住)によると、禎子さんは、足が速く、運動会で活躍していたそうです。親切でとても人気がありました。

禎子さんが亡くなった後、コマキさんたちは、禎子さんのための記念碑をつくろうと募金活動などに取り組みました。街角で呼び掛け、全国の学校へ手紙を送った結果、1958年に原爆の子の像が完成しました。コマキさんは「彼女のことを後世に語り継ぐことが戦争を繰り返さないための方法だと思った」と説明します。

原爆の子の像にささげられた折り鶴を集計している広島市の「折り鶴データベース」によると、2001年度から07年度で、合計96の国と地域から4955の個人や団体が折り鶴を寄せています。

Photo
「サダコの祈り」を手に子どもの力について話す渡部代表理事=右(撮影・中2井口優香)

禎子さんをテーマにした本もたくさん出版されています。国内でも20冊以上、海外でも十数冊が35を超える国々で読まれています。

その中の一つ、広島市のNPO法人「ANT―Hiroshima」が、パキスタンの画家と共同制作した「サダコの祈り」は、05年にパキスタンで起きた大地震からの復興や平和への願いを実現するための勇気を与えています。

ANT代表理事の渡部朋子さん(55)によると、パキスタンの人たちは広島が原爆から自分たちで復興したことを知り勇気づけられたそうです。本の読み聞かせをしてもらった子どもたちは、日に日に元気になり、それにより大人たちも元気になっていきました。復興を進めるため、08年には「サダコ小学校」が建てられています。(高2・小林大志、高2・村重茜)

 


柴田知佐さん  −「地雷ノー」漫画・講演・募金

Photo
京都市で開かれた国際協力イベントで意見発表する柴田さん=右(2008年10月)

立命館大4年生の柴田知佐さん(22)=京都市上京区=は、小学生のころから地雷をなくす活動をしています。漫画を描いたり、被害に遭った国を訪れたりして実情を調べ、講演や募金活動をしています。

柴田さんは、小学5年生の総合学習の時間に、地雷で右の手足を失ったクリス・ムーンさんという英国人をビデオで見て、地雷の存在を知りました。地雷の被害について調べるうちに、大人も子どもも関係なく被害に遭い、体だけでなく心にも傷が残ることに衝撃を受けたそうです。

柴田さんは「地雷はあってはならないもの。自分にできることはないか」と考え、「ノーモア地雷」という四コマ漫画を6年生になる前の春休みに描きました。地雷の恐ろしさや除去の仕方などが描かれています。その後も地雷の被害を受けているカンボジアやラオス、ベトナムに行き、その国の様子を伝えるために講演をしたり、募金活動をしたりしています。

活動を続ける理由について柴田さんは「自分が友達と遊んでいる時にも、世界では、同じ年齢の子どもたちが地雷の被害に遭っているということへのショックが忘れられないから」と言います。日本でも地雷の被害などへの理解が深まってきたと感じています。

「大人は難しく考える問題でも、子どもは素直に感じることができる。それは子どもの大きな力だと思う。感じたことを行動に移すことがさらに大事」と話しています。(中1・白川梨華)

 

サマンサ・スミスさん  −旧ソ連指導者に戦争を問う

Photo
当時のソ連書記長からの招きでモスクワ入りしたサマンサさん=中(1983年7月、タス=共同)

米国東北部メーン州に住んでいたサマンサ・スミスさんは10歳の時(1982年)、旧ソ連のユーリ・アンドロポフ書記長に手紙を書きました。米国とソ連は当時冷戦状態にあり、両国が核兵器の開発を進めるなど、敵対関係が強まっていました。そんな中、「あなたは戦争をするのですか」と率直に尋ね、アンドロポフ書記長から返事を受け取ったのです。

母親のジェーン・スミスさん(64)=メーン州=にメールで当時のことを聞きました。

日曜日のこと、母親から米国とソ連の問題について書かれた雑誌を見せられたサマンサさんは、表紙を飾ったアンドロポフ書記長の写真を見て「なぜ本人に戦争をするつもりなのか聞かないの?」と尋ねたそうです。

ジェーンさんが「あなたか聞いてみたら?」と提案したところ、すぐに手紙を書き始めました。

4カ月後に届いた書記長からの返事には「戦争はしたくないし平和を望んでいる」という言葉とともに、ソ連を訪れてほしいと書かれていました。サマンサさんはソ連で開かれた青少年交流キャンプに参加しました。その模様はメディアで大きく取り上げられました。

ジェーンさんはサマンサさんの活動により「敵対していた両国の市民がお互いを人間として見ることができ、より国境を越えた理解が深まった」と話します。

サマンサさんは13歳の時、飛行機事故で亡くなってしまいました。彼女の夢は世界平和だっだそうです。(高2・村重茜)


 

オム・プラカシュ・ガジャーさん  −インドの公立学校無料化

Photo
オランダで開かれた国際子ども平和賞授賞式でのガジャーさん=右(2006年12月)

インドのオム・プラカシュ・ガジャーさん(16)は、5歳の時に両親の元から連れ去られ、3年間農園で働かされました。インドの非政府組織(NGO)に救出され、「子どもたちの権利を守りたい」と教育問題や子どもの人権問題に取り組み始めました。

児童労働から救出され通っていた公立の学校では、教科書代や建物の使用料としてお金を徴収していました。2004年、ガジャーさんは、公立の学校は無料であるべきだと訴え、村人や生徒たちから署名を集めたのです。同じ学校の生徒約200人も協力しました。

活動は近郊の約100校以上の学校に広まり、村のある北部ラジャスタン州の全公立学校で授業料が無料になりました。

現在は、子どもたちの出生登録を促す活動に力を入れています。ガジャーさんによると、インド全体では約3割が出生登録していませんが、その数はラジャスタン州では6割にもなります。

ガジャーさんが中心になって近郊の村に20の子ども議会を組織しネットワークをつくりました。それぞれの議会が住民に出生登録の重要さを説明しています。出生登録をすれば、児童労働や子ども兵にされることから身を守れるそうです。これまでに、500人以上の出生証明書がもらえるよう手助けをしました。

これらの活動が評価され、06年の国際子ども平和賞を受賞しました。(中2・坂田弥優)


 

クレイグ・キールバーガーさん  −「児童労働反対」100万人の輪

Photo
インドで児童労働に反対するデモ行進に参加するキールバーガーさん=中(1995年12月)

12歳で子どもの権利を訴える団体をつくり、現在も学校建設に取り組んでいる人がいます。カナダに住む非政府組織(NGO)フリー・ザ・チルドレン創立者のクレイグ・キールバーガーさん(26)です。

1995年、キールバーガーさんはパキスタンで児童労働反対を訴えていた同い年の少年が殺されたことを新聞で読みました。元児童労働者でした。キールバーガーさんは、自分とは違う環境に住む子どもがいることを知り、強いショックを受けました。同世代のために何かしようとクラスで呼び掛けたところ、11人が賛同しました。

本やインターネットで児童労働問題について調べ、政府に手紙を書いたり地元の学校で発表することから始めました。しかし、いつも「児童労働の被害に遭っている子どもに、実際に会ったことがあるのか」と聞かれ「ない」と答えるしかありませんでした。

この問題を理解するためには、自分の目で見なければいけないと思い、両親を説得。7週間、南アジアの5カ国を訪れました。

活動についてメディアで報道されると、全国の若者から賛同の声が集まりました。今では、45カ国に100万人以上の賛同者がいます。これまでにインドやケニアなど16カ国に500の学校を建設しました。(中2・小坂しおり)

 

 

なるほどキーワード

  • 冷戦

    米国と旧ソ連の間で第二次世界大戦終わりごろから、1989年まで続いた国際対立。核兵器開発などの軍備拡張競争を通じて互いにけん制し合った。対立の構造は欧州やアジアなど世界に広がった。

  • 児童労働

     国際労働機関(ILO)によると15歳未満の健全な成長を妨げる労働。18歳未満が強制的に兵士にされるなど最悪な形態の労働に従事させられる場合も含む。世界では5歳から17歳までの約2億1800万人(2004年)が働いている。