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■特集 フランス編 核の現状と展望
核戦力強化 時代に逆行 '04/9/12


 米ソ冷戦終結から十余年。ヨーロッパでは欧州連合(EU)への加盟国が増え、文化・経済面の統合が一段と進む。そんな中、第二次世界大戦後、米国の「核の傘」を拒否し、独自の核抑止政策を貫いてきたフランスは、欧州融和への潮流に逆らうように核戦力を増強しようとしている。「テロ攻撃に核は通じない」「近隣諸国に敵は見当たらない」―そう認めながらなぜ核抑止政策にこだわるのか。広島国際文化財団が派遣した「広島世界平和ミッション」の第三陣メンバーに同行しながら、フランスの核の現状と展望を探った。(文・田城明、森田裕美 写真・田中慎二)

 ■NPTでの約束ほご 「官僚」「利潤追求」が道阻む

 パリ中心部から地下鉄と郊外電車を乗り継いで約一時間。パリ南大学オルセーキャンパスは、森に囲まれた静かなたたずまいを見せていた。

 小柄な核物理学者のドミニク・ララン博士(61)が、研究棟入り口で出迎えてくれた。博士はフランス政府の核政策に精通する一方、「アボリション2000」グローバル評議員などを通じて核兵器廃絶運動にも積極的にかかわっていた。

 「被爆を体験した日本人にとって、フランス政府の核政策は受け入れ難いだろう。私にとってもそうだ」。会議室に移ったララン博士は、こう前置きをしながら、自国の核政策について説明を始めた。

 「かつてフランスの核保有の目的は、旧ソ連の核攻撃を抑止するためのものだった。だが、今は違う。遠く離れた地での紛争を含め『あらゆる脅威』に対応できる核戦力の整備を打ち出している。そのための態勢を短期には二〇一五年までに、長期には四〇年までにつくろうとしている」

 ▼新兵器研究進む

 現在、フランスには約三百五十個の核弾頭がある。その80%は三隻の原子力潜水艦のミサイルに搭載されている。一個の威力は広島型の約七倍の百キロトン。残りはほとんどが爆撃機搭載用の核兵器で、威力は各三百キロトン。さらに空母一隻も備える。地上配備よりも海洋を常に潜航する潜水艦配備の方が攻撃されにくく、抑止効果が高いとされる。

 ララン博士によれば、二〇〇〇年に発注された二隻の新型原潜のうち、〇四年末までに一隻、一〇年にはもう一隻完成する予定という。水中発射型弾道ミサイルも、一五年までに射程を従来の四千キロから六千キロにまで伸ばし、さらに衛星利用測位システム(GPS)を駆使して命中精度を高める計画だ。

 「新しいタイプの核兵器の研究も進められている。特に『メガジュール・レーザー』と呼ばれるのは、起爆装置として従来の高濃縮ウランやプルトニウムではなく、レーザーを利用して核融合を起こさせようというものだ。起爆のために一千万度の温度が必要だが、成功すれば一キロトン以下のミニニュークも可能になる」

 米国カリフォルニア州のリバモア国立研究所で取り組んでいる「NIF(国立点火施設)」と類似している。三、四十年先を見越しての研究だが、一一年には仏南部ボルドー近くのル・バープに、そのための巨大な研究施設が建設されるという。

 ▼軍事利用を優先

 核戦力の近代化を図り、強化しようとのフランスのこうした計画は、核拡散防止条約(NPT)第六条が核保有五カ国に課した核軍縮努力への明らかな裏切りである。二〇〇〇年のNPT再検討会議では、フランス政府も核廃絶への「明確な約束」に合意した。それだけに一層罪が重い。

 「政府が核装備の近代化を正当化する理由の一つは、新しい核技術を目指すことで、優秀な科学者や技術者を長期にこの分野に確保する必要があるいう点だ」とララン博士。米国が開発を進める貫通型の小型核兵器の動きなどにも強い刺激を受けているという。

 広島、長崎原爆投下二カ月後の一九四五年十月、シャルル・ド・ゴール将軍率いる暫定政府は、いち早く原子力エネルギー委員会(現原子力庁)を設置。その後、一貫して軍事利用を最優先に原子力エネルギーの利用を図ってきた。

 その一方で、七三年のオイルショックを契機に原子力発電所を次々と建設。現在、五十八基が稼働し、75%の電力をまかなう原発大国である。

 「原子力庁の職員だけで一万六千人。肥大化した官僚組織と原子力産業が求める利潤追求の構造が、時代が求める核軍縮への道を阻んでいる点も見逃してはならない」とララン博士は強調した。

 ▼対テロへ「抑止」政策は危険

 「核兵器は国家存立に絶対必要なものだ」

 フランスの核抑止論者と話すと、必ずといっていいほどこんな言葉を耳にする。核兵器の拡散状況について尋ねると「核兵器を持ちたいと思う国はたくさんあり、これからも増えるだろう」と、意外なほど事態を冷静に受け止める。

 米ソ冷戦下、核保有国の支配を嫌い、独自の核を持つことで「覇権」を打ち破り、国際社会で「主要国」の地位を占めようとしたド・ゴール大統領。「防衛のために」「国際社会や域内で影響力を高めるために」―と、新たな核保有国が出現しても冷静さを装えるのは、かつての自国の姿と重なるからか。

 あるいは、フランス自身が直接、間接に核拡散に寄与しているからか。イスラエルの核兵器開発は、フランスが輸出した原子炉が利用されたものである。サダム・フセイン時代のイラクに対してと同じように、危険地域と思われる国々へ原子力関連部品や技術を「ビジネス」として売り込む。政府も関連企業も、モラルの欠如を批判されてしかるべきだろう。

 「この国では原子力庁が核の軍事利用も平和利用も管轄している。米国のエネルギー省なども同じだが、フランスほどその境があいまいな国はない」。こう指摘するのは、パリを拠点に二十年以上にわたって原子力問題にかかわるエネルギー・核政策アナリストのマイケル・シュナイダーさん(45)である。

 原子力庁は、一九五八年に政府が核開発を公にするまでは、職員の目からさえも隠すように秘密裏に核開発を進めた。

 「核施設を造っても『民生利用のためだ』と偽ったり、目的をあいまいにしたりしながらやってきた。秘密の体質は、今も変わっていない」とシュナイダーさん。

 そんな一つの例として彼は、「民生利用」をうたい文句に造られた仏北西部ラ・アーグの使用済み核燃料再処理工場を挙げた。六六年と七六年に稼働した二つの再処理工場は、仏核燃料公社のコジェマが管理・運営に当たる。国内のみならず、日本やドイツなどの原発から出た使用済み核燃料を扱い、プルトニウムやウランを抽出する。

 「ここで取り出された国内のプルトニウムは、高速増殖炉で利用するのが主な目的だった。しかし、肝心の増殖炉はトラブル続き。需要が少なく、核兵器用にも使用された」と証言する。

 八九年に中国新聞が連載した「世界のヒバクシャ」取材でフランスを訪ねたときも、秘密の壁は厚かった。

 だが、あれから十五年がたち、世界の状況は大きく変わった。

 フランスは核抑止政策を維持するために、自国だけでなく、「欧州の核の傘に」との考えを打ち出した。しかし、脱原発政策を掲げる隣国ドイツなどからは総すかんを食った。

 核保有国が増えれば増えるほど、核抑止効果は薄れ、危険が増す。ましてや、核兵器や危険なプルトニウムなどの核物質がテロリストの手に渡るかもしれない時代である。

 増加する核物質や、放射性廃棄物の危険性はひとまずそばに置くとしても、国家対国家という従来と同じ枠組みで核抑止政策を続けるほど危険なものはない。その矛盾に気づき始めたフランス市民が、十五年前よりも間違いなく増えている。今回の旅でそのことを実感できたのは、一つの救いではあった。(田城)

 ◆フランスの核年表◆
1945年 仏暫定政府が原子力エネルギー委員会(現原子力庁)を設立

  48年 仏最初の原子炉が稼働、翌年に微量のプルトニウムを抽出

  50年 ノーベル物理学賞受賞者で、核兵器開発に反対していたジョリオ・キュリー博士が、原子力庁から追放される

  56年 アルジェリアのサハラ砂漠に核実験場を建設

  58年 仏南部マルクールにプルトニウム再処理工場が稼働

  同   原子力庁内に「軍事応用部」を設置し、核兵器開発を公にする

  60年 アルジェリアのサハラ砂漠で、大気圏での初の原爆実験に成功。規模は60〜70キロトン

  62年 アルジェリアがフランスから独立。66年までサハラ砂漠で核実験が続く

  63年 米ソ英3カ国が部分的核実験停止条約(PTBT)に調印。大気圏での核実験を禁止する。フランスは加盟せず

  66年 南太平洋の仏領ポリネシア・ムルロア環礁で大気圏核実験を実施

  同   ラ・アーグにプルトニウム再処理工場が稼働

  68年 仏領ポリネシアのファンガタウファ環礁で初の水爆実験を実施。規模は広島型原爆の約173倍の2.6メガトン

  70年 核拡散防止条約(NPT)が発効。フランスは署名も批准もせず

  85年 ムルロア環礁での仏核実験への抗議航海を控え、ニュージーランド・オークランド港に停泊中のグリーンピースの「虹の戦士」号が、仏情報機関に爆破され、1人が死亡

  86年 チェルノブイリ原発事故が発生

  91年 ムルロア環礁で地下核実験を実施。ミッテラン大統領が核実験のモラトリアムを発表

  92年 NPTに批准

  95年 9月にシラク大統領がムルロア環礁での地下核実験を再開。年末までに計5回の地下核実験を強行

  96年 ファンガタウファ環礁で地下核実験を実施。シラク大統領、この実験を最後に「核実験の中止」を発表

  98年 仏政府、高速増殖炉「スーパーフェニックス」の閉鎖を決定

  同   包括的核実験禁止条約(CTBT)に批准

2004年 9月7日から広島、長崎両市がオバーニュなど仏の2都市で初の原爆展

 《フランスの核実験回数》

     大気圏 地下  計
1960  3        3

  61  1    1   2

  62       1   1

  63       3   3

  64       3   3

  65       4   4

  66  6    1   7

  67  3        3

  68  5        5

  69

  70  8        8

  71  5        5

  72  4        4

  73  6        6

  74  9        9

  75       2   2

  76       5   5

  77       9   9

  78      11  11

  79      10  10

  80      12  12

  81      12  12

  82      10  10

  83       9   9

  84       8   8

  85       8   8

  86       8   8

  87       8   8

  88       8   8

  89       9   9

  90       6   6

  91       6   6

  92

  93

  94

  95       5   5

  96       1   1

     50  160 210

 出典 ブルーノ・バリヨ著「原水爆の遺産」

【写真説明】(上)鉄条網で厳重に警備されたコジェマのラ・アーグ再処理工場。取り出されたプルトニウムは軍事目的にも使われてきた
(下)「文化や経済面での欧州連合の融和は進んでいるが、軍事政策面での統一はなお難しい」と語るララン博士


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