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2006.03.21

 NBA    第二次大戦直後に産声 
 

初期のNBAのレーカーズで一時代を築いた208センチのマイカン堰iAP=共同)

 一九四五年、第二次世界大戦が終わり、米国では街に娯楽が戻った。観戦スポーツブームが起きるにつれ、屋内競技場の経営者に悩みが生まれた。メーンのプロアイスホッケーの地元戦がないと、使い道がない。学生の試合がビジネスとして成長していたバスケットボールに目をつけた。

 当時、全国リーグ(NBL)などのプロがあった。新リーグは全米規模を目指し、拠点の都市名を冠につけた。大学で活躍した選手を獲得し、人気を集めようとした。BAAは一九四六年十一月、十一チームでスタート。プロアイスホッケーチームのオーナーが経営者となった。

 だが、注目は集めなかった。ほとんどのコートはアイスリンクの上に板を張った。熱気で氷が溶け、水たまりができることもしばしば。テレビはなく、ラジオ中継もローカル。新聞も地元チームを小さく扱うだけだった。

 転機は四九年に訪れた。NBLと合併。NBAは十七チームで再出発した。初期のスター選手はジョージ・マイカン。メガネがトレードマークで、二〇八センチの大型センター。ミネアポリス・レーカーズを五二年から三連覇に導くなど、一試合平均28・3点の飛び抜けた得点能力で一時代を築いた。

 NBAは現在、三十チームで構成する。東西カンファレンスが各三地区に分かれ、十一月から四月までリーグ戦を展開する。BAA設立から始まったプレーオフで全米1位を決める。米国だけでなく、世界中のファンを興奮に包む一大イベントに発展。ミサカたちのまいた種は大きく花開いた。




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