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たゆまず歩む 地域とともに 中国新聞

「いいお産 考」

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 第1部 産む人たちの思い

5.高度医療生かして
− 痛みなしに「安心感」 −

「また産みたい」につながる


  麻酔で体リラックス

  「楽でよかった。産後も普通に歩けるし」。岡山市の「ペリネイト母と子の病院」で二女を産んだばかりの三船有利恵さん(26)=岡山県美咲町=は、ベッドに腰掛け、硬膜外麻酔による無痛分娩(ぶんべん)の感想を語る。疲れはみじんもない。

 母親や親類たちからは「普通に産めないなんてだらしない」と言われた。傷ついたが、意思は変わらなかった。「現代人なんだから、痛みを和らげる医療に頼ってもいいんじゃないかと思って」。「もし近くにこの病院がなければ、私は産めなかったかも」とも言う。

 担当の助産師には、「無痛でなければ、体の筋肉がこわばって、こんなに順調に生まれなかったかもね」と声を掛けられた。

 背中から持続的に局所麻酔を注入できる硬膜外麻酔による無痛分娩は、意識はあるので陣痛は分かり、自分でいきむことができる。痛みで体に力が入ってしまわないので、お産の進行も早いという。恐怖心など母体のストレスで、胎盤の血管が収縮し、赤ちゃんが低酸素状態になるリスクも減らせる。

 同病院では、一九七九年の開業以来、岡山県内で唯一、二十四時間態勢で無痛分娩に応じており、その数は累計で約六千件に上る。

 「お産の途中で耐えられなくなって、兵庫県の姫路や明石の病院から移って来る妊婦もいます」と田淵和久院長(60)は話す。同病院では、出産する人の八割が無痛分娩を選んでいる。データはないが、多産の妊婦が多いという。田淵院長は「自分が納得できたお産なら、『また産みたい』につながる」と分析する。

 納得できる主体的なお産がしたくても、痛みがひどすぎてかなわない―。そんなとき、無痛分娩は自然の流れに沿いながら医学で痛みを取り除ける「オプション」の一つとなっているようだ。

仕事と両立し4人目出産


  高齢考慮 子育てに余力

 四番目の子どもとなる三女を、やはり無痛分娩で産んで間もない訪問看護師の植野好恵さん(38)=宇部市=は「いざというときは無痛に切り替えて甘えさせてもらえる、という選択肢があったから、仕事も両立させながら、こんなに産めたのかも」とほほ笑む。「冷静に呼吸を整えて産んで、赤ちゃんと対面できたときは大満足だった」と今回のお産を振り返る。

 植野さんが出産したのは、宇部市の磯部レディースクリニック。磯部孟生院長(64)は三十六年間、産科麻酔を究め、これまで約二万人の赤ちゃんを取り上げている。

 植野さんが同クリニックで産んだ第二子は、自然分娩。第一子と三子は、日本の多くの母親がそうしているように「自然に産まないと」との一心でぎりぎりまで頑張ったが、あまりの痛みに最後の最後で、わらにもすがる気持ちで「無痛」に切り替えた。

 今回は年齢も気になり、最初から「無痛」を選んだ。これまでの経験から、余裕を持って子育てに臨むには、お産で疲れ切ってしまわない方がいいと思ったからだ。

 米国やフランスでは一般的なこの方法。だが、日本ではなじみが薄い。その背景について、磯部院長は「産科麻酔に対応できる医師の絶対数が少ないのに加え、幸か不幸か、自然分娩を理想とする根強い意識があって、需要も伸びない」と指摘する。

 「おなかを痛めて産んだからかわいい」との考え方や情報不足による誤解も多い。「胎児に悪影響を及ぼすのでは」「麻酔で眠り、お産が実感できないのではないか」

 植野さんは事前に説明を受け、不安もなかった。「自然でも無痛でも、産んだ四人の子のかわいさは、変わりませんよ」

 同クリニックでは、二割が「自然」、わずかだが、最初から「無痛」希望者がいて、残りの八割近くは自然分娩するつもりでお産に臨み、途中から「無痛」に切り替えている。植野さんのように両方を経験する母親も多い。磯部院長は言う。「いいお産は人それぞれ。満足度につながる選択肢を提供したいのです」(森田裕美)

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図「硬膜外麻酔」

硬膜外麻酔による無痛分娩 腰を消毒し、専用の針で、脊髄(せきずい)を包む硬膜の外側にある硬膜外腔(くう)と呼ばれる空間に、細くて軟らかい管を入れ、局所麻酔を持続的に注入する方法。痛みはないが、陣痛がきていることは感じることができ、主体的にお産ができるという。麻酔を使う分、費用は高め。心臓や呼吸器疾患があったり、お産への恐怖心が強く、パニックになったりする妊婦には適しているが、脊椎(せきつい)や血液の病気がある人は感染の恐れがあり、できない。また、硬膜外腔内への出血などが起これば、まひが残る可能性もあるため、扱う医師には高度な技術が必要という。

2007.1.9