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たゆまず歩む 地域とともに 中国新聞

「いいお産 考」

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 第3部 ママになるには

5.産んだ後も
− 助産師の支えで安心感 −

授乳・家族との葛藤… 何でも話せる


  「岐路」乗り越える力に

 「麻香さん、聞いてー」。山口市の主婦福永あけ美さん(33)が、おっぱいマッサージをしてくれている助産師の米屋麻香さん(40)に話し掛ける。

 福永さんの自宅。そばでは、この部屋で生まれた第四子で三女の小春ちゃんが寝息を立てている。ちょうど生後二週間目の健診の日。たっぷり二時間、談笑は絶え間なく続いた。

 産後一週間は、米屋さんが毎日通ってくれた。母乳の飲ませ方を指導したり、子宮の収縮状態をチェックしたり…。福永さんが一番感謝しているのは、話を聞いてもらえることだ。米屋さんの滞在時間は、時に三、四時間に及ぶ。

 産後の育児は待ったなし。娘の状態で気になることや、上の子の「赤ちゃん返り」など、子育ての悩みや疑問は、その都度すぐに助言が欲しい。加えて、子どもや夫、親とのかかわりから生じる自分の葛藤(かっとう)やひっかかりも、不思議と打ち明けてしまう。

 米屋さんとは、小春ちゃんを妊娠してから出会った。決して長い付き合いではない。「お産の時に心も体もさらけ出しているから、自分をさらけ出せるのか。とにかく麻香さんは、私にとって心の支え」。病院で産んだ上の子どもたち三人の産後とは、安心感の質が違う。

 自分の出産に立ち会ってくれた米屋さんを、「家族の一員」や、「戦友」と表現する母親たちもいる。産前から信頼関係を築き、命を産み出す瞬間をともにした助産師に寄せる母親たちの信頼の厚さは、想像以上だ。

 米屋さんと母親たちのつながりは、産後一カ月を過ぎても終わらないことの方が多い。開業した二〇〇一年秋以降に生まれた子どもたちは三十一人。五歳になる子もいるが、今でも母親たちから、さまざまな相談が舞い込む。「自分が大事にされたら、子どもも大事にできるんじゃないかな」。米屋さんには、母親たちの姿が、そんなふうに映る。

 新たな命との対面。人生の中で、大きなインパクトをもたらすその体験と、目の前に赤ちゃんがいるという逃げられない事実。それは、親になる動機付けにもなれば、心が追い込まれてしまう理由にもなる。母親がプラスにもマイナスにも転ぶ岐路にある産後は、母親を支える「またとない機会」ともいえる。

 ただ、福永さんのような例は今、少なくなっているのかもしれない。出産を介助した助産師と固いきずなに恵まれ、自然の流れの中で心のこもったケアを受けられた人が、どれだけいるだろう。

 国の人口動態調査では、〇五年に生まれた子どものうち、自宅で生まれたのは0・2%。助産所での出産も1%にすぎない。産科の病院や診療所で母子が退院した後も、助産師や看護師がケアを続ける事例もあるが、ごく少数にとどまっている。

 そんな中、地域の力を生かして、産後の育児を支える取り組みもある。子どもとの触れ合いを大切にした心豊かな子育てを目指し、「おっぱい都市宣言」をしている光市。子育て経験のある三十〜七十歳代の女性五十五人が「母子保健推進員」となり、ボランティアで産後の家庭を訪問している。

 ユニークなのは、推進員が、一人の母親の自宅を訪れる回数の多さだ。産後一年間を集中的に、三歳になるまで、十回以上訪問する。健診や予防接種など子育てに関する情報を提供するとともに、母親たちの声にも耳を傾ける。

 最近、親になるまで赤ちゃんを抱いた経験がない人が多い。「どうやって子育てをしていいのか分からないのは、むしろ当然。初めての経験なんだから」。市健康増進課の柏木裕美係長(47)は、産後に切れ目のない育児支援が必要な理由を、そう説明する。

 都市への人口集中や核家族化の進展で、コミュニティー意識も人間関係も希薄になっている現代、ママになるためのサポートの必要性は、一層高まっている。


2007.5.28