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第2部 被爆二世
3. 揺れる思い 偏見への恐れ 家族縛る2007.03.24

 尾道市の小学校教諭柏原弥生さん(52)は、大阪で過ごした短大時代に聞いた言葉を忘れない。「広島のミカン がおいしいのはなんで?」。知人の男性は、原爆が瀬戸内のミカンの味にも影響を与えたと誤解していた。絶句する 柏原さんに、男性は追い打ちをかけた。「広島には絶対行かん」

 目に見えない放射線の恐怖。確かに原爆投下直後の広島は「七十五年は草木も生えない」と言われた。それが誤解 であることはすぐに証明されたが、各地に刻まれた被爆者や二世への偏見は、容易には消えない。

 三十数年前、路線バスの車内。前席に座った女性が声をひそめて話す。「被爆二世と結婚しちゃだめよ」。福山市 の主婦占部郁枝さん(72)が聞いた会話だ。夫の成人さん(昨年九月に七十五歳で死去)は爆心地から約二キロ離 れた学生寮で被爆した。当時、親子とも健康だったとはいえ、「主人と息子が気の毒に思えましてね」。今も言葉を 詰まらせる。

 前身の原爆傷害調査委員会(ABCC)時代も含め、放射線影響研究所(放影研)が六十年近く調べても、被爆二 世への遺伝的影響は解明されていない。にもかかわらず無知や誤解が、被爆した親とその子を苦しめる。

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 放影研でも、こんな出来事があった。今年二月末、「非被爆者の子との有意差(明確な差)は現段階ではない」と 結論づけた二世の健康影響調査。その準備をしていた一九九七年のことだ。

 調査対象者にアンケート用紙を発送しようと、放影研は住所を確認する戸籍付票の写しを自治体から取り寄せた。 だが、公表せずに手続きを進めたため、二世の間に動揺が広がった。

 研究目的の戸籍利用は法的に問題はない。しかし、被爆二世と知られたくない人は少なくない。偏見を恐れる親が 被爆の事実を告げていないケースもある。そんな人たちに突然、放影研の封筒が届いたらどうなる―。被爆二世団体 は反発した。

 「微妙な心情への無理解や、科学者と官僚のおごりがあった」。当時、放影研顧問だった元遺伝学部長の阿波章夫 さん(74)=広島市佐伯区=は不手際を認める。放影研は学者や弁護士ら第三者を招いて倫理委員会を設け、調査 の進ちょく状況の説明や公表手法について二世団体と協議を重ねるようになった。

 占部さんの長男正弘さん(48)は教職員組合の被爆二世団体役員として、そんな放影研とのやりとりを見つめた。 その間、被爆者である父の姿を思い浮かべたという。

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 生前の父を学友が訪ねてきた。被爆者健康手帳の取得に必要な証人を依頼するためだった。応接間のソファで向き 合う父に、かつての同級生はこう語りかけた。「娘も結婚し、心配せず手帳を取れるようになった」

 被爆者が手帳取得をためらい、いわれのない偏見が二世や三世に及ぶ現状には憤りを覚える。同時に正弘さんは、 子や孫の安穏を祈る親心を思うとき、「被爆の事実はしまい込んだほうがいいのか」と揺れる。(石川昌義)

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【写真説明】昨年9月に亡くなった夫が残した被爆体験記を読む占部郁枝さん(左)と長男正弘さん



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