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連載「放影研60年」を終えて
科学的成果、人類のために 原爆投下認めぬ視点を

 放射線影響研究所(広島市南区、放影研)が今年、発足六十年を迎えたのを機に、二月から同 僚記者と五部構成で「放影研60年」の連載に取り組んだ。歩みを振り返り、被爆地に放影研が 存在する意義を検証、将来像を探る取材は「原爆被害とはいかなるものか」をあらためてかみし め「二度とヒロシマ・ナガサキを繰り返してはならない」という戒めを胸に刻む作業でもあった。

 被爆者が高齢化する中で、将来像を模索する放影研の実情を知ろうと、施設がある比治山に何 度も通った。前身の原爆傷害調査委員会(ABCC)に対して「(被爆者を)研究のモルモット にしていた」「データが米の核開発に利用されている」など拒絶反応を示す市民は少なくなかっ た。閉鎖的、無機質…。放影研は、今でも負のイメージで語られがちだ。しかし、取材を重ねる うち人間の息づかいも伝わってきた。

 日米の厚い壁実感

 広島では、市民の反発と職務の板挟みになりながら、被爆者のために懸命に働いた元ABCC 職員に出会った。米国にも被爆地に何のサポートもできなかったと今も悩む元研究者がいた。入 手した米国の機密解除文書には放影研への被爆者の不快感を裏付ける当時の米国の政策がにじん でいたが、それぞれの関係者は拍子抜けするくらい親日的だった。

 半面で、日米の間にある厚い壁をつくづく思い知らされた。原爆投下の是非について、米国人 研究者の大半は「二度と繰り返さないため研究を続け、放射線の影響を見極めなくてはならない」 と大義を語った。一方で投下は「戦争終結のため必要だった」と言い切った。

 放影研の将来や研究のあり方を考えるとき、「投下は正しかった」という考えに軸足を置くの と、「いかなる理由があっても肯定できない」という視点に立つのとでは、行き着く先は異なる。

 人体への放射線の影響を調べ続けた科学的成果は類例がなく、世界のヒバクシャの治療のため 貴重な財産になるはずだ。「人類のための研究」を設立目的に掲げるのであれば、「投下は正し かった」との軸足で研究を進めることはできない。幸い、放影研には多くの被爆者が訪れ、その 声をじかに聞ける。軸足を正す環境は整っている。

 悪循環が長年続く

 取材のたび、放影研の将来像を聞いた。「人類に視点をおいた研究を」「老朽化する施設を移 転拡充し、他施設と連携する」「日本政府は米国に働きかけるべきだ」。しかし、現実は共同運 営する米国の意向や財政状況を理由に、長年、何も変わらない悪循環が続いている。これでは永 遠に解決しない。放影研の未来を考えるのであれば、日米両政府の重い腰を上げさせるよう、私 たちも行動するほかない。

 放影研が設立から還暦を迎えた今年、日米両政府が設置した「上級委員会」は年末をめどに報 告書をまとめる。原爆症認定基準の見直しなど被爆者問題を話し合う与党プロジェクトチームも 検討項目に放影研の移転建て替え問題を加えた。被爆地からも遠慮せずに物を言おう。好機をみ すみす逃してはならない。(森田裕美)



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