中国新聞

第2部 山里で

■ 1 ■ けもの道

 人影薄れ「わがもの顔」

「猪変(いへん)」
(03.1.21)


 水たまりの底に、のたくった跡が見える。タワシと似た硬い毛も 散らばっている。浜田市郊外の唐倉山(五一四メートル)のふも と。北向きに開けた谷の奥はイノシシたちのふろ、ヌタ場だった。
唐倉山地図

 「元は棚田。三十年ほど前まで、耕作していたそうです」。イノ シシ研究で東京から浜田に移り住んだ農学博士、小寺祐二さん(32) が案内してくれた。人間が見捨てた田んぼを、今は獣が使ってい る。谷あいの湿田は、体についた虫を泥でこすり取るのにもってこ いの場所なのだ。

Photo
雪の朝、唐倉山のふもとの林道にイノシシなどの獣の足跡が無数に残っていた(浜田市)

 ヌタ場から、けもの道が延びていた。ねぐらに格好のやぶに、好 物のタケノコが生える竹林にと、四方八方に向いている。そのうち の一本をたどってみる。

 棚田跡に植えられた杉林を抜ける。山仕事に使われていた細道を 横切って、人里に近づいていく。やがて、一軒の農家が見えた。

 ◇ ◇

 あるじは、広瀬末信さん(89)、道子さん(83)夫婦。二人とも、唐 倉山の一帯で生まれ育った。「最近じゃあ、庭先に干しとる黒豆ま でイノシシが食いに来るんじゃけえ、やれんよね」

 山の暮らしは一九六〇年ごろから、変わり始めた。幾筋も立ち上 っていた炭窯の煙が消えた。「石油や電気がありゃあ、炭は売れ ん」と末信さん。今は自宅のこたつを暖める分だけ、細々と焼いて いる。

 裏山に、炭焼きが盛んなころの名残があった。炭材だったコナラ やカシの木はどれも、根元から何本もの幹が伸びている。切り株か ら芽生え、伸びた枝を数年後に切る繰り返し。根こそぎ切らず、森 を生かし続けた証しだ。林業が寂れ、山から人影が消えた今は、イ ノシシのおなかを満たすドングリの森だ。

 ◇ ◇

 七〇年代には、減反政策が離農に追い打ちをかけた。広瀬さん夫 妻も八十アールある田んぼの半分しか作れなくなった。生活費の工 面に困り出した矢先、田畑にイノシシが現れ始めた。

 「獣害に悩まされて、十軒ほどの集落が出ていった谷もあるん よ」。道子さんが、裏山の方角を指す。「私の実家も、そこでね。 みんな、街に下りてしもうた」

 ひと山越えると、谷川に出た。少し開けた河原の奥に、廃屋が何 軒か見える。道子さんの言う廃村の跡だ。耕作をやめた田んぼはも う、ススキやカヤに覆われてしまって見えない。

 「今は、イノシシの集落ですよ」。小寺さんが五年前、この集落 跡に調査で入った時も、三、四頭がやぶから飛び出した、という。

 けもの道をたどる、イノシシの目線には、人間界の退却ぶりが映 る。退却には二通りある。敵に正対して後ずさるか、顔を背けて逃 げる。人々はまだ、イノシシに背を向けている。

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