中国新聞

第2部 山里で

■ 2 ■ 禁猟の楽園

 ツル保護策に乗じ侵入

「猪変(いへん)」
(03.1.22)


 霜の降りた刈り田で、ナベヅルの家族がのどかに落ち穂をついば んでいる。本州で残り一カ所となった渡来地、山口県熊毛町の八代 盆地。

 昔ながらの冬景色のようで、実は違う。この十年、田んぼの水は けを良くする工事が進み、好物のドジョウや貝がすめる湿田は姿を 消した。ナベヅルは今、冬でも水を入れた、わずかな給餌田でしか 見られない。

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地図 給餌田に舞い降りたナベヅル。背後に、イノシシよけのフェンスが延びる

 給餌田から百メートルほど離れた、町の野鶴監視所。観光客が双 眼鏡でツルを探す。何人かに一人は、背景の異物に気付く。「あれ は何だ?」

 盆地を囲む山並みの南すそに長々と、金網フェンスが延びてい る。遠目にも分かる。十年前から一帯で始まった町営のほ場整備に 合わせ、延長三・七キロにわたって張り巡らせたという。

 「山から下りてくるイノシシを防ぎ止める、さくですよ」。監視 所の研究員、河村宜樹さん(69)が教えてくれた。国の特別天然記念 物に選ばれたナベヅルの越冬地は今、忍び寄るイノシシにまごつい ている。

 ◇ ◇

 イノシシは脚が短く、湿田や雪山は苦手だ。体の重みで、脚が沈 み込んでしまう。乾いた田んぼが増えた八代盆地は動きやすく、縄 張りにしやすくなった。

 町内では昨年、十六頭のイノシシを駆除した。この数年、人家近 くへの出没が目立ち、農業被害も年々増えている。

 面食らったのは、地元の農家だ。県鳥のツルを慈しみ、明治以 来、盆地一円を禁猟区にしてきた。越冬期は、ツルが驚く騒音や車 の出入り、たこ揚げも控えてきた。

 現在も、渡来地を中心に徳山、下松両市境まで、千ヘクタール余 りを鳥獣保護区に定めている。狩猟はむろん、駆除だって難しい。 発砲音にツルが脅えて、寄りつかなくなるからだ。愛鳥の心遣い が、イノシシの侵入を許すすきになった。

 ◇ ◇

 「谷あいに多かった棚田が耕作放棄で、山に戻っているのも、イ ノシシが里に近づきやすくなった一因でしょう」。地元の民間非営 利団体(NPO)「ナベヅル環境保護協会」事務局の末松幹生さん (47)は推し量る。

 ツルは餌場とねぐらを朝夕、行き来する。人里離れた棚田は、貴 重なねぐら。湿田は夜、キツネなど害獣の侵入を水音で教えてくれ る安全地帯だった。一九七〇年代に始まった減反政策で、手間のか かる棚田は真っ先に見放された。ねぐらが集まっていた隣の徳山市 の里山も七九年、ゴルフ場に変わった。

 昨年春、ツルが突然、ねぐらの一つを捨てた。現場で末松さんが 見たのは、イノシシがのたくり回した跡だった。

 戦前の四〇年に三百五十五羽が舞い降りた八代盆地も、今年は十 二羽。減り続ける飛来数は、イノシシ侵入の前触れでもあった。

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