中国新聞

第5部 食らう

■ 6 ■ 地域発

 天然の味 全国に宅配

「猪変(いへん)」
(03.4.30)


 春は霧の海に包まれる中国山地の島根県石見町。町境の日貫郵便 局は一九八六年からいち早く、地元で捕れるイノシシをぼたん鍋セ ットやブロック肉で届ける宅配で名を売ってきた。

 「一村一品運動がはやりでねえ。郵便局も一局ずつ産品を掘り起 こし、郵便小包の受注を増やそうと競争だった」。当時の局長、静 間英明さん(67)が振り返る。高速道路が伸び、宅配便に郵便小包を 奪われた郵便局の巻き返し戦略だった。全国約二万九千局で、猪 (しし)肉を扱ったのは日貫郵便局だけだった。

 当初はろくに保冷庫もなく、クマザサに生肉をくるんで送った。 「野山を駆け回っとる天然ものじゃから、味は折り紙付き。客は 皆、大満足だった」と静間さん。

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ブランド化に向け、猪肉の宅配に取り組む「はすみ特産センター」浅原さん(島根県羽須美村)

 真空包装機や低温貯蔵庫を自前で備え、受注に素早く応じ始める と、固定客が年々増えた。バブル景気も追い風だった。東京の鉄鋼 会社は五キロ、十キロと注文をよこした。「鍋に入れる野菜もほし い」と客の声で、地元農家にゴボウ栽培を頼むなど、経済効果も広 がった。注文は、今季も千二百件を超えた。

 地域おこしで猪肉に目を付けながら、どこもつまずくのが、食肉 の処理や販売に必要な保健所の営業許可。日貫郵便局が大手を振っ て商えるのも、両方の資格を持つ地元猟師がいたからだ。

 安本房信さん(66)。「野性のものを食うイノシシの肉は、BSE (牛海綿状脳症)もまず関係ない。おかげで、不景気の風にも負け ませんなあ」。柔和な顔がほころぶ。

 安本さんが食肉の資格を取ったのは三十五年前。地元の祭りで丸 ごと買う豚の余りを売りさばくためだった。過疎で、食べ切れなく なった。当時は、今ほど厳格な衛生設備を求められず、地元県議の 助力で取れた。「講習だ何だぁ、あとの勉強がよっぽど大変じゃっ たが」と頭をかく。

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 石見町と同じ邑智郡内の羽須美村でも、食肉処理・販売の資格を 取った猟師たちが天然の猪肉を発送している。住民出資の協同組合 「はすみ特産センター」。

 「父の時代から、本場の兵庫県に猪肉を送り、丹波ブランドで売 られていたんです」。組合長の石材業浅原資(たすく)さん(40)の 代に、「羽須美ブランドで売ろう」と発想を転換。宅配便の普及も 支えだった。

 村内を貫く江の川の水で育てたアユも売る。「イノシシもアユ も、自然そのもの。危なっかしい飼料とも農薬とも無縁。きれいな 環境を丸ごと食べてもらう」

 今から二百六十年ほど前、江戸時代の産物帳には山野草や魚介 類、鳥獣から虫までが載る。山野河海の恵みを、お国自慢、つまり 「特産物」と心得ていたのだ。天然猪肉の宅配は、その心ばえを受 け継いでいる。

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