薄暗い空に、じんわりと朱がにじみ始めた。朝が来る。身震いしたのは冷たい風のせいだけではない。朝焼けに、神宿る島の影が浮かび上がった。
穏やかな大野瀬戸にそそり立つ峰々。人はいつから島に神を感じてきたのだろう。原始林が覆う弥山に霊気をみたのか。厳島神社にまつられるのは市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)など三柱の女神。玄界灘に臨む宗像大社の系統を同じくする。
大陸や朝鮮半島と畿内を結んで、交易船が行き交った瀬戸内海。中継基地だった宮島には市が生まれた。舶来の品が並び、京や博多の商人でにぎわっただろうか。市杵島姫命は「市姫」とも。島の人は畏怖(いふ)と親しみを込めて「宮島さん」と呼ぶ。
くっきりとしてきた稜線(りょうせん)に仏の姿を探してみる。その曲線は「観音様の寝姿」に見えるという。「神さんも仏さんも大事。島の者には自然なことです」。タクシーを走らせる津田勲さん(73)は、観光客に島の暮らしを語る。
大鳥居や社殿の雅、仏閣の情趣。島は神仏習合の名残をとどめる。近世には日本三景の一つに。観光や遊興の地となり、富くじや芝居に沸いた。時は移り、島は世界文化遺産。来年は登録十年を迎える。色づき始めた木々や、土産物屋の呼び声の中を、観光客がそぞろ歩く。自然と調和して穏やかな島民の営みには、伝説や風習も息づく。
「私らは神さんに生活させてもらっとるようなもの。ありがたいねえ」。人懐っこい津田さんの声が弾む。「平清盛にも感謝せにゃあならんね」。身が締まるようで、心浮き立つようで。聖と俗を包み込んできた島には、今日も人々が集う。
観音様が涙を流しとってですよ―。島の女性に思わぬ話を聞いた。稜線に目を凝らすと、寝姿とは別にもう一つ、観音様の横顔が浮かんできた。駒ケ林が鼻、弥山は額だろうか。目にあたる幕岩の下方に、今夏の土石流跡が痛々しく走る。あらわな山肌は、伝う涙に見えた。 −2005.11.6
(文・田原直樹 写真・田中慎二)
宮島 厳島とも呼ばれる周囲30キロの島。主峰弥山は標高535メートル。全島が国の特別名勝・史跡、瀬戸内海国立公園。1996年、厳島神社の社殿を中心にした建造物群と前面の海の一部、弥山を含む山林の計約431.2ヘクタールが世界文化遺産に登録された。3日、廿日市市に編入合併された。住民数は2011人(10月31日現在)。
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