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「神宿る みやじまの素顔」    2.夜の舞楽
闇と溶け合う濃密な時

菊花祭のクライマックス「陵王」。十三夜の月(左上)とストロボの光で一瞬、幻想的な空間が生まれた(10月15日)

 気がつくと闇に包まれていく社殿の上に、十三夜の月が昇っていた。心地よい波音ととともに、回廊の床に潮が迫る。月明かりとろうそくを頼りに舞楽を奉納する厳島神社の神事「菊花祭」。その歴史は江戸時代にさかのぼる。

 奉納するのは十曲。いにしえから鎮座する神、舞手、そして参拝者。それぞれが濃密な空間を共有し、夜のとばりと一体化する。「とても言葉にできない。感激です」。福岡市から訪れた医療事務神岡美沙子さん(39)は冷え込みも気にせず、二時間にわたり国宝の高舞台の前に立ち続けた。

 今年は特別な意味があった。昨年の台風禍で国宝の左楽房が倒壊した。修復を終えて初の奉納。六世紀の中国の戦場の舞を原型とするクライマックスの「陵王」は、その左楽房から登場した。若手神職の飯田泰雅さん(36)の舞に、カメラのフラッシュの光が一段とまばゆさを増す。

 平家一門の栄華の時代から、厳島で演じられた舞楽。その継承は容易でなかった。平家滅亡後の中世、神仏分離の混乱を経た明治、そして戦後…。断絶の危機に直面しつつ、源流とも言える四天王寺舞楽の神仏の垣根を越えた協力で、再興してきた。現在は二十九人の神職が全員、舞楽の維持に携わる。

 若手は先輩から託された「舞譜」をもとに練習を繰り返す。奉職六年目の飯田さんは昨年夏から「陵王」の舞手となった。舞楽の花形には、大きく、力強い所作が求められる。「これでよかったと納得できた舞は、まだない」

 かつて、菊花祭に観光客の姿はほとんどなかった。暗がりの中、粛々と奉納された。今や世界遺産の島を代表する観光資源として、写真愛好家たちが詰めかけ、風情は変わった。しかし、神職たちは口をそろえる。「どんな時でも、神様を喜ばせる。それが舞楽」。その言葉は、神と向き合い歳月を紡いできた自信の表れでもある。

−2005.11.13

(文・岩崎誠 写真・藤井康正)


厳島神社の舞楽 平清盛が大阪・四天王寺の楽所から厳島にも移したとされ、承安3(1173)年の銘がある舞楽面九面が現存する。平安期には「陵王」「萬歳楽」「甘州」「抜頭」など今と同じ演目が奉納されていた。明治期に宮中で舞楽の流儀が統一される中でも古来の特徴を保ち、現在は19曲が残る。中国系の左方舞と朝鮮半島系の右方舞にも分けられ、登場する楽房が異なる。4月の桃花祭、10月の菊花祭など年10回の神事で奉納する。 地図


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