身を切るように冷え込んだ夜明け前、通称「町家通り」を歩いた。表参道商店街から一筋、山側にある。家々がともす三十余りのあんどんが暗がりを照らし、五重塔を背景にした町並みを包む。
始発のフェリーに乗ろうとする住民たちが宮島桟橋に急ぐ。歴史と共生してきた門前町の一日は、もう始まっている。
島の暮らしが息づく約四百メートルの通りには、江戸時代から戦前までの町家建築が点在している。入り口から順に、ミセ(表の間)、オウエ(中の間)、ザシキ(奥の間)と呼ばれる。うなぎの寝床のように間口が狭く、奥行きがある。
独特の様式を最もよく伝えていると聞き、田中基嗣さん(70)の自宅を訪ねた。十八世紀後半の建築と推定される。昔ながらの土間から上がったオウエには、高さ二メートル以上の巨大な神棚があった。二百年以上、神とともにあった日々の暮らし。「神棚の前で正月、一家で膳(ぜん)を囲むならわしでした」。田中さんは思い返す。
周囲の町家が次々と姿を消す中、町議会議長を務めた亡き父は、かつて旅籠(はたご)だったという先祖代々の家を守った。改修しても、潜り戸の付いた木戸や屋根瓦などの部材は残してきた。町並みに風情をとどめた。
宮島の歴史で最も華やかだったのは江戸時代とされる。往時を記憶する通りは、終戦後しばらくは、宮島のメーンストリートだった。ところが、高度成長期の観光ブームで、にぎわいは表参道商店街に移っていった。
「裏通り」とまで呼ばれるようになったこの道に再び光が当たったのは、最近のことだ。通りに暮らす女性たちが知恵を出し合い、町家を舞台にした行事「雛(ひな)めぐり」を始めた。しゃくし問屋だった江戸末期の町家はギャラリーに再生された。その情緒に誘われて若い世代が集まり、人がまた、人を呼ぶ。
ギャラリーを切り盛りする宮郷素子さん(62)は「にぎわいが戻ったのも、通りの歴史の蓄積があってこそ」と受け止める。先人たちの営みを受け継ぐ―。宮島のすべての原点がそこにはある。 −2006.1.22
(文・岩崎誠 写真・藤井康正)
町家通り もともとあった地名ではなく、4年前、旧宮島町と宮島観光協会が街歩きマップを作製した際、命名した。通りに面し20余りの伝統的建造物が並ぶ。理髪店、鮮魚店、文具店などもある生活道でもある。町家風に改修する旅館や酒店も相次ぎ、景観的にも整備されてきた。芸術展示の拠点として定着した「ぎゃらりい宮郷」を中心に、宮島の新たな観光スポットとして注目を集める。
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