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「神宿る みやじまの素顔」    45.誓真釣井
島を潤す水 感謝の法要

ポンプを押すと勢いよく水が出た。水道が整備されていても誓真釣井は生活とともにある

 桟橋を出てすぐのところ、料理店と鮮魚店の間を小路が延びている。三十メートルほど入ると、小さな広場に突き当たる。ポンプの付いた「誓真釣井(せいしんつるい)」と、地蔵堂がある。

 江戸後期、水不足にあえぐ島民のため、井戸を掘った僧誓真。港町地区では地蔵菩薩(ぼさつ)として祭られる。誓真さんは宮島の恩人―。敬う気持ちは今も、暮らしの中に息づいている。

 八月下旬、地蔵盆の午後。小路の奥で「誓真地蔵尊まつり」が始まった。僧侶の読経が路地に響く。エプロン、サンダル、手にはうちわ。普段着のまま集まった近所の女性たちが熱心に唱和している。お堂の前には、もみじまんじゅうや豆菓子、果物がいっぱいに盛ってある。飾らないが、気持ちのこもった法要だ。

 「よう澄んだ名水よ」。町内会総代の山松和男さん(54)に促されてのぞく。キラキラ光る水面の奥に底が見えていた。祭りの四日前に消防団のポンプ車で水を抜き、井戸替えするのが習いという。底までは約六メートル。「岩盤からシャワーのように水が噴き出して、次の朝にはたまっとる」。山松さんがはしごで下り、竹ぼうきで清めた。

 井戸の内側には、寛政二(一七九〇)年と刻まれている。当時、ここは海岸から数メートルだったにもかかわらず、塩分のない清水がこんこんと湧(わ)いたという。「飲み水に風呂水に、毎日使った。昔はポンプなんてなくてつるべで上げてね。夏はスイカを冷やしたもんよ」

 法要が終わると、路地裏に静寂と暑さが戻った。住民がひしゃくで誓真釣井の水を打つ。涼しい風が抜けていった。

 日が暮れて、もう一度訪ねた。小路は島の人たちでにぎわっている。地蔵尊まつりの直会(なおらい)だという。子どもらが料理をほおばり、仕事から戻った男性はビールを酌み交わしている。語らう声が響く路地の奥。灯明に照らされた誓真地蔵が見えた。

−2006.9.10

(文・田原直樹 写真・藤井康正)


誓真釣井 島内10カ所に掘られたと伝えられ、4カ所が現存する。伊予出身の誓真は、広島城下で米を商っていたが、宮島に渡り、神泉寺の番僧となった。托鉢(たくはつ)をして井戸を掘る資金を集めたという。宮島杓子(しゃくし)を考案し、広めたことでも知られる。 地図


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