2006.12.17
5.  終身教授   テロ評論で解雇の危機



 コロラド州ボールダー市中心部から東へ十キロ。ワード・チャーチルさん(59)と妻のナツ・サイトウさん(51)は、自宅書斎で講演や講義の準備に追われていた。窓からかなたに望む雄大なロッキー山脈。二人は仕事の手を休め、大学教授のチャーチルさんが受けている政治的圧力について説明を始めた。

 「二〇〇一年の9・11テロ事件翌日に電子メディア誌に掲載された私のエッセーが、三年以上もたった〇五年一月に、突然攻撃の対象になってね。今は憲法でうたわれた表現の自由も、大学独自で定めた学問の自由もかなぐり捨てて、私を解雇しようとやっきになっている」。チャーチルさんは肩まで伸びた髪をかき上げながら言った。

 コロラド州立大学ボールダー校エスニック研究学部の終身教授。チェロキー先住民で、専門も「先住民から見た米国史」。二十冊以上に及ぶ著作がある。市民団体「戦争に反対するベトナム退役軍人の会」「アメリカ先住民運動」などを通じて、政治活動にも積極的にかかわる。

 ■「アイヒマンたち」

 エッセーで特に批判の的となったのは「littleEichmanns(小さなアイヒマンたち)」という二語である。ナチス・ドイツの親衛隊員だったアドルフ・アイヒマン。彼は第二次世界大戦中、ユダヤ人たちを東欧各地の収容所に送るため列車の手配などにかかわった。

 後に「ユダヤ人虐殺」の罪に問われ、一九六二年にイスラエルで処刑されたが、彼は裁判で「命令に従っただけ」と主張した。「アイヒマンは直接人をあやめはしなかった。しかし誤った政治・軍事行動の歯車の一部として、大量虐殺に加担した」

 こう話すチャーチルさんは、テロ攻撃を受けた世界貿易センタービル群にあった中央情報局(CIA)の出先や、国防総省で働く職員を「小さなアイヒマン」になぞらえ、罪無き人々とは言えないと指摘したのだ。

 「私は決して9・11テロを肯定しているのでも、暴力を奨励しているのでもない」とチャーチルさんは力説する。

 湾岸戦争後の経済制裁で命を失った五十万人を超すイラクの子どもたち、ベトナム戦争で殺された二百万人以上の犠牲者、グレナダなど中央アメリカへの米軍侵攻による死者、広島・長崎の原爆犠牲者、奴隷貿易の犠牲となった黒人たち、そして虐殺され土地を奪われたアメリカ先住民…。

 「私は9・11テロの犠牲者を悼むのと同じように、こうした人々への哀悼の思いも禁じ得ない」

 チャーチルさんがエッセーで強調しているのは、米国政府が国際法や基本的人権を侵害して外国で多くの人々を殺したり、不当に富を収奪すれば「その報いは自分たちにも向けられる」ということである。

 「実は私も同じような主張をしているけれど、問題にもならない」とサイトウさんが口を挟んだ。日系三世で弁護士、アトランタ市にあるジョージア州立大学の法学部教授(国際法・人権)でもある。「私と違って夫は大学の内外で人気が高い。影響力もある。そのうえ先住民だから余計に標的にされているのよ」

 チャーチルさんは決してテロ攻撃で犠牲になった多くの消防士や警察官、清掃作業員、日本人を含む外国人らまでを「小さなアイヒマン」としているのではない。しかし、意図的にその言葉だけを取り上げれば、誤解を招きやすい表現であることも事実だろう。

 ■発端は講師招待

 批判が起きたきっかけは、〇五年一月末にチャーチルさんがニューヨーク州の私立大学に講師として招かれたことによる。彼の講演に反対するグループと一部メディアが一体となって「9・11テロの犠牲者を、小さなアイヒマンと呼ぶとは何事か。アメリカ人の風上にも置けない」と猛烈に批判。電子メールや手紙、電話などでの抗議が、大学当局やチャーチルさんの元に殺到した。

 暴力行為を示唆したり「殺す」といった脅迫文も随分あったという。当の大学は圧力に屈して講演を中止した。コロラド大学でも副学長が、チャーチルさんの言葉は「嫌悪を起こさせる」と非難。数日後にはコロラド州のビル・オーウェン知事(共和党)が「チャーチル教授を解雇すべきだ」と発言した。

 地元の有力下院議員(共和党)の一人は、ラジオ番組で「大統領専用機で、ブッシュ大統領とチャーチル教授について意見を交わした」とし、辞職を強く求めた。

 学外からの政治的な強い圧力を受けて、コロラド大学では二月初めに緊急理事会を開催。解雇に反対する教授陣や学生、地元の市民らが抗議して会は紛糾した。一カ月後には同大のエリザベス・ホフマン学長が、教授陣に向かって「新しいマッカーシズムが起きている」と警告。数日後には「一身上の都合」で学長辞任を発表した。

 ボールダーに拠点を置く市民組織「ロッキーマウンテン平和と正義センター」も、大学理事会あてに「チャーチル教授と、憲法で守られた言論の自由を擁護する」との声明書を提出した。

 同市内で会ったセンター創設者の一人、リロイ・ムーアさん(75)は「チャーチル教授の言葉は確かに適切ではなかっただろう」と認める。「でも私たち市民は彼の著書や発言からたくさんのことを学んできた。多くの先住民を犠牲にし、かつてメキシコに属していた領土を割譲させてコロラド州の大半も生まれたことを忘れてはならない」

 神学者でもあるムーアさんは「アメリカ人の多くは認めたがらないが…」と言って、さらに言葉を継いだ。「自国の政治や経済、軍事政策が敵をつくり出し、それがもとでわれわれを攻撃したいと思う人たちがいる、というチャーチル教授の指摘は間違っていない」と。

 チャーチルさんは九一年にコロラド大学の教授陣に加わって以来、同僚や学生による審査で、常にトップクラスの評価を得てきた。だが、地元紙などによる彼に対する攻撃はとどまることはなかった。「言論の自由を守る」という憲法を前に、エッセーの内容だけで辞職させるのが難しいとなると、今度は「先住民ではない」「本の脚注に間違いがある」など人格攻撃や学問上の疑義を持ち出した。

 チャーチルさんは一つ一つの指摘に反論してきた。しかし、地元メディアで公平に取り上げられることはなかった。

 大学理事会は、外部からの批判を受けてチャーチルさんに関する「特別審査委員会」を設けて審査中だ。彼は今年八月から、給料は支給されているものの、大学での講義からはずされている。

 ■法廷闘争辞さぬ

マッカーシズム
 1949年のソ連の原爆実験成功、中華人民共和国の誕生などを受け、50年代に米国で吹き荒れた共産主義者や同調者に対する厳しい弾圧。ジョセフ・マッカーシー上院議員(共和党)が主導したことから「マッカーシズム」と呼ばれた。学者やマスコミ、映画関係者、労働組合指導者らが多数職を追われた。日本でも反共の嵐が起きた。

 2001年の9・11米中枢同時テロ後、米国内にマッカーシズムが再来しているといわれる。かつての共産主義者に代わって、「テロとの戦い」に批判的な学者らがやり玉に挙がり、大学を追放されるケースが全米のキャンパスで起きている。

 圧力団体としてよく知られているのは、民間の教育活動団体で、高等教育の「改革」を目指す米国大学理事同窓生協議会(ACTA)である。創設の中心人物がリン・チェイニー副大統領夫人で、ブッシュ政権と関係が深い。豊富な資金があり、州知事や全米の大学理事らへの働きかけも盛んに行われている。
 「仮に夫が仕事を辞めても私たちは暮らしていけると思う。でも、辞職すれば政治的な圧力に屈したことになる。学問の自由や大学の自治、言論の自由も守れない。何より今各地の大学で起きている政権に反対するような学者や有色人種への不当な差別を許すことにもつながってしまう」

 サイトウさんは、夫の置かれた状況が「ほかのキャンパスでも起きている象徴的な存在になっている」と言うのだ。

 十一月の中間選挙では、チャーチルさんの件でブッシュ大統領の名を持ち出し辞任を求めた下院議員が、オーウェン知事の後継として知事選に出馬。が、民主党候補に敗れた。連邦議会も上下両院とも民主党が制した。選挙結果がチャーチルさんの地位保全に有利に働きはしないか。

 「そうあってほしいわね。でも豊かな資金をバックに、大きなネットワークを持つ保守的な教育団体が大学に圧力をかけているので、そう簡単ではない」。国際電話の向こうでサイトウさんは悲観的な見通しを語った。

 それでも二人はくじけていない。自分たちは高等教育を受け、ものを書き、意見も主張し、経済的にも恵まれている。それに比べこの国の先住民や多くの少数民族の置かれた状況はどうか。

 「不当な扱いを受けても闘うすべすらないのが現実。私たちが彼らに代わって頑張らないと…」。夫妻の思いは同じである。仮に夫が解雇されることがあれば、二人は法廷で闘うつもりである。


広い書斎で共に机に向かうワード・チャーチルさん(左)とナツ・サイトウさん。「アメリカの歴史
はコロンブスに代表される白人の歴史だけではない」と夫妻は声をそろえる(ボールダー市)

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