2006.12.24
6.  「危険人物」データ   誤情報 再入国時に拘束



 黒いワンピースに、頭には淡いピンクのヘジャブ。イスラム教徒のジュリア・シアーソンさん(41)は、自ら作成した訴状の添付資料を示しながら早口で言った。

 「ほら、書類がこうして黒く塗りつぶされているでしょう。だから私がなぜ危険人物扱いされるのか、肝心なことが何も分からないのよ」

 米国土安全保障省管轄下の税関・国境警備局から二〇〇六年三月二十九日付で届いた九枚の書類。シアーソンさんが情報公開法に基づいて入手したものである。しかし、ところどころ太い線で消された政府資料からは、なぜ彼女がテロリストを割り出す「スクリーニング・データベース」に登録されていたかなどは不明のままだ。

 オハイオ州クリーブランド市にある全米市民組織「アメリカ・イスラム関係協議会」(CAIR)のクリーブランド支部事務所。〇三年秋から同支部のディレクターを務めるシアーソンさんは、9・11米中枢同時テロ後の米国社会の変化を自身の体験を通じて身に染みて感じている。

 「今思い出してもぞっとする」。彼女は表情をゆがめながら〇六年一月八日の日曜日に起きた出来事を話した。

 「四歳半の娘のダラルを連れてカナダのエリー湖畔で過ごしての帰り。午後八時すぎ、ニューヨーク州バッファロー近くの国境でのこと。係官が再入国のために私のパスポートを読み取り機械にかけると、車内の私にもはっきり分かる大きな赤い文字がモニターに映し出されたの。『ARMED AND DANGEROUS(武装につき危険)』って。もうびっくりして…」

 シアーソンさんの母方の先祖は、一六二〇年に英国からメイフラワー号で米大陸へやって来た。彼女の母親(68)は物理と歴史の学位を持つ。十二歳のときに亡くした父親は歴史学教授。自身も米東部で名の知れたハーバード大学で、中東の言語・文化の修士号を修めた。

 米国社会では、いわば多数派白人の知識階層。逮捕、犯罪歴もなければ、人生で一度も銃など保持したことはない。それがなぜ、危険人物扱いなのか。

 ■娘の目前で手錠

 彼女は銃に手をかけた国境警備係官から車外に出るように命令された。外に出ると、おびえた表情で見つめるダラルちゃんの目前で、後ろ手に手錠を掛けられた。娘とともに入国待ちの人々の目にさらされながら当局の事務所へ。途中、シアーソンさんはもう一組のイスラム教徒の家族が拘束されているのを目撃した。彼女は泣きながら係官に尋ねた。

 「私が拘束され、これほど屈辱的な扱いを受けるのはイスラム教徒だからですか」

 答えはなかった。尋問室ではカナダへ行った目的やだれと会ったか、以前に中東諸国を旅した理由やイスラム教徒になぜなったかなど、プライバシーを侵害するような尋問が続いた。この間、弁護士や家族との電話連絡は拒否された。約二時間半後、ようやく拘束が解かれた。しかしなぜ拘束されたのか、最後まで説明はなかった。

 シアーソンさんは翌日、オハイオ州選出の二人の上院議員と地元選挙区の下院議員あてに、事のてんまつをしたため「なぜこんな事態が起こり得るのか究明のために手助けしてほしい」と手紙を出した。当局からの各議員への回答は「コンピューターの作動ミス」とだけあった。

 納得できない彼女は一月末、情報公開法に基づいて拘束にかかわる自分と娘のすべての書類を提出するように税関・国境警備局に請求。同時に@なぜ「武装につき危険」扱いをされたのかAどの政府機関から出た情報なのかBほかのどの機関が情報を共有しているのかC誤った有害情報の削除手続きはどうすればいいのか―と問いただした。

 その回答が冒頭に紹介した九枚の書類である。問いへの返答は一切なかった。

 今は母国にいるサウジアラビア人との結婚。四年前のキリスト教からイスラム教への改宗。アメリカ・イスラム関係協議会での勤務。これらのことが「武装につき危険」との情報と結びついているのだろうか…。だとすれば「基本的人権の侵害」と彼女は憤る。

 いずれにせよ、その理由を知り、政府保安機関のデータベースから誤情報が完全に削除されたことが判明するまで、海外旅行など恐ろしくて考えられないという。

 ■接続2万4000ヵ所

アメリカ・イスラム関係協議会
 1994年に設立された全米最大のイスラム系民間人権団体。首都ワシントンの本部をはじめ、計32カ所に事務所を構え600万―700万人といわれるイスラム教徒の人権擁護や地位向上に努める。テロ行為を否定する一方、イスラム教やイスラム文化への理解を深めてもらうために、市民との対話の促進や文化行事などに取り組む。

 同協議会は設立以来、イスラム教徒への人権侵害や、憎悪犯罪(ヘイトクライム)についての統計も取っている。報告された2005年の人権侵害は1972件。前年の1522件に比べ約30%増えている。憎悪犯罪では、06年にメーン州のモスクに冷凍の豚の頭部が投げ込まれたり、オハイオ州のモスクにパイプ爆弾が仕掛けられ建物の一部が壊れるなどの事件が起きている。
 シアーソンさんはその後も当局に情報公開を迫った。が、唯一の回答は「テロリストによる前例のない脅威に対して、忍耐と理解、協力を願う」との返事が届いただけ。行政手続きでは問題の解決は図れない。ならばと彼女は六月、国土安全保障省と税関・国境警備局を相手に、オハイオ州の連邦地裁に不服申し立ての訴訟を起こした。

 同じ六月、イリノイ州シカゴでは、人権団体の全米市民自由連合(ACLU)の支援を受けて、イスラム教徒の米市民十人が国土安全保障省長官らを被告に、集団訴訟に訴えた。訴状には「同じ体験を味わっているすべての人たちを代表して」とある。医師、学者、ビジネスマンら海外渡航の機会が多い彼らは、家族を含め複数回、米再入国の際に空港などで拘束されていた。

 「原告たちはみんな四、五回以上拘束されている。データベースの情報がいかに間違いだらけで、修正がなされていないかのいい証拠よ」とシアーソンさん。

 全米市民自由連合などの調べでは、連邦捜査局(FBI)内に「テロリスト・スクリーニング・センター」があり、治安に関連する十二の政府機関から挙げられた名前がデータベースに登録される。削除できるのは名前を挙げた当該機関のみ。〇五年末までに二十三万七千人以上が登録されているという。

 そのデータが、陸海空出入国関連機関の二万四千カ所のコンピューター端末にネットワークされている。さらにこれらの情報は、FBIの米犯罪情報センターにもつながり、全米法施行通信システムを通じて、五十州のどこからでもアクセスできるのだ。

 〇五年六月の米政府の調査では、〇三年十二月から十四カ月間で拘束した人たちの42%が間違いだったことが判明した。だが、その修正は政府内の機構上の問題や、名前の類似性などからはかどっていないのが現実である。

 外国人を含め、ほとんどの旅行者は米入国の際に拘束されることはないだろう。飛行機の搭乗手続きの際に、上着や靴を脱いだりするのが煩わしく感じる程度である。それも慣れてしまえば、人間不信社会で生きる「異常さ」や「不幸」を感じるよりも、テロ防止のためには「不自由も仕方がない」と、あきらめの気持ちが先に立つ。

 しかし、アメリカ人でありながら、イスラム教徒というだけで再入国の際に長時間拘束され、屈辱的な尋問にさらされたのではたまらない。

 ■続く「敵視政策」

 テロ防止のために「水際」でしっかりと食い止めてほしい。その願いはシアーソンさんも同じである。「でも、明らかに間違った人たちばかりを拘束して無駄な時間を費やしていたのでは、テロ防止に役立たないばかりか、税金の無駄遣いよ」

 イスラム教徒たちの海外渡航は、再入国時の拘束の恐れから減っているという。国内にあっても、イスラム教徒への嫌がらせや憎しみに根差した犯罪が年々増えているのが現実だ。「今のようなイスラム教徒への敵視政策が続けば、彼らから協力も得られない。アメリカ社会全体にとって大変なマイナス」と、シアーソンさんは嘆く。

 彼女が起こした訴訟も、ほとんど進展がみられない。「武装につき危険」という誤ったデータ抹消のためにも、イスラム教徒への偏見・弾圧をなくすためにも、シアーソンさんは地道に取り組んでいく覚悟である。

 「ダラルが大人になったときもなお、イスラム教徒にとって息苦しい社会では申し訳ない」。彼女は娘の写真を見つめながらしみじみと言った。


税関・国境警備局からの黒く塗りつぶされた書類を示しながら、拘束された当時の様子を話すジュリア・シアーソンさん。「憎しみに根ざした個人の犯罪より政府による差別の方が怖い」(クリーブランド市)
お祈りするダラルちゃん
イラク戦争反対のデモ終了後、マイクを手に参加者にあいさつするシアーソンさん。「イスラム教徒はうちにこもってはいけない」と積極的に地域の人々と交わる(クリーブランド市)

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