2007.01.14
8.  陸軍中尉   イラク派遣 信念で拒否



 米国西部を縦断する主要高速道I5。その北部、ワシントン州タコマ市の高速道をまたぐ陸橋には、市民や学生ら約八十人が集っていた。午後五時。参加者は横断幕などを掲げ、高速道を走るドライバーや近くのフォートルイス陸軍基地から帰宅する兵士らに向かって、イラクへの派遣を拒否した同基地所属のエレン・ワタダ陸軍中尉(28)への支持を訴えていた。

 「多くのドライバーや同乗者が警笛を鳴らしたり、手で合図をしたりしてエレンへの支持を表明してくれるので励まされる」。母親のキャロライン・ポーさん(59)が笑みを浮かべて言った。ハワイ州ホノルル市にある高校のカウンセラー。彼女は休暇を利用し、軍法会議にかけられる息子を支援するためにハワイからやって来ていた。

 その日の勤務を終えたエレンさんも、私服に着替え、姿を見せていた。エレンさんとはその夜、基地から車で十分ほどの彼のアパートで夜が更けるまで話し合った。

 1LDK。独身の身には十分な広さだ。丸い食卓を挟んで向き合った彼に、米本土訪問前にホノルルに立ち寄り父親のボブ・ワタダさん(67)と会って来たことを告げた。父親もまた、大学や教会などに出かけては息子への支援を訴えていた。

 「父や母にはとても感謝している。入隊するときは反対を押しきり、イラク行きの拒否を決めたときも、戸惑う父母を説得して自分の信じる道を貫いたから…」。端正な顔立ち。穏やかな口調が落ち着いた雰囲気を醸し出す。

 エレンさんが陸軍に入隊したのは、ハワイ太平洋大学を卒業して間もない二〇〇三年三月。ちょうど同じ月にイラク戦争が始まった。

 日系二世のボブさんは、学生時代の一九六四年、ベトナム戦争に徴兵された。しかし、良心的徴兵拒否者として参戦を拒否。代わりに平和部隊の一員として二年間、ペルーで農業開発事業の奉仕活動に従事した。その後三十一年間ハワイ州政府職員を務めたが、戦争には常に批判的だった。

 中国系四世のキャロラインさんにも、二男のエレンさんには特別な思いがあった。妊娠六カ月。交通事故で重傷を負った彼女は、胎児を救うためにやむなく帝王切開で新しい生命をこの世に迎えた。体重一六二四グラム。ふつうの新生児の半分ほどの大きさ。無事成長してくれたことが奇跡のようにも思えた。

 ■両親 入隊に反対

 それだけに両親は、生命の危険を伴う軍への入隊を息子から聞かされたときは猛烈に反対した。それを見越して、陸軍への入隊手続き後に二人に告げたエレンさん。一途な二男の性格を知る父母は「好きな道を」と、最後は折れた。

 だが、なぜそこまでして軍隊を志願したのか?

 「9・11テロ事件後も、政府はイラクが大量破壊兵器を保有しているとか、サダム・フセイン大統領と9・11事件を起こした国際テロ組織のアルカイダがつながっているとか国民に向かって脅威を訴え続けていた。私はブッシュ大統領のその言葉を心底信じていた」

 愛国心から志願したエレンさんは、砲兵隊将校としての厳しい訓練を重ね、〇四年六月には韓国へ。一年間の駐留の後、現在のフォートルイス基地に配属された。そのころ上官から、所属部隊のイラクへの派遣が近いことを告げられていた。

 心の準備はできていたという。しかし一方で、開戦から二年を経ながら当初の理由づけが証明されないなど、戦争を始めた動機やイラク駐留に疑問を抱き始めてもいた。

 「韓国に駐留中、将校として部下に模範を示さなければと神経を使った。戦場ではなおのこと指導力が問われる。多くのことを学んでおかなければ」

 なぜこの戦争に自分たちが参加するのか。戦争の影響は。帰還兵たちの状態は…。エレンさんは訓練の合間に、基地内の図書館を利用したり、書店でイラク戦争に関する本を何冊も購入しては読んだ。インターネットでも情報を収集した。

 ■指導者への怒り

 学ぶほどに疑問が膨らんでいった。自国政府の情報操作で始まった侵略戦争、国民に対する欺まんの深さ…。「まさか最高司令官のブッシュ大統領がわれわれを欺くなんて思ってもみなかった。本当にショックだった」。指導者への怒りと、無知だった自身への恥ずかしさが募った。

 〇五年十月、一カ月間にわたりワシントン州ヤキマの野戦基地で訓練を続けた。が、彼の心は乱れていた。間違った政府の行為をだれが止めるのか。共和党支配の議会も、保守的な司法も歯止めにならない。「第四の権力」といわれるメディアも、真実を十分に国民に伝えていない。軍人はそれでも命令に従うしかないのか…。

 エレンさんは〇六年一月、迷った末に決意を固めた。「軍人は命令に従うことを義務づけられている。だが刑務所行きを覚悟すれば、選択の自由はある。だれかが勇気をもって声を上げなければ」

 エレンさんは、イラク行き拒否を電話で両親に伝えたうえで、上官に告げた。「イラク戦争は国連憲章やジュネーブ条約が禁止する侵略戦争であり、憲法にも違反している。違法で不道徳なイラク戦争に参加するのは自分の良心が許さない」と。辞職を願い出たが、受け付けられることはなかった。

 四月には兵役拒否などの問題で経験豊かなホノルル在住の民間の弁護士エリック・サイツさん(63)と接触。五月に辞職願が再び拒否されたのを機に、六月七日、サイツさんや父母、支持者らが出席してホノルルとタコマ市内で記者会見を開いた。出席できなかったエレンさんは、ビデオメッセージでイラク派遣への拒否理由を公にした。

 うやむやのうちに刑に処せられるよりも、人々に自身の考えを訴え、社会の周知の下で判決を受ける方がいいと判断したからだ。

 エレンさんが属していた旅団は六月下旬にイラクへ派遣された。配転で事務職に就いていた彼には後に@部隊移動からの脱落A将校にふさわしくない行為Bブッシュ大統領ら政府高官への侮辱発言―という罪が科せられた。軍法会議ですべての罪が認められると、八年半の獄中生活が待ち受けていた。

 軍内部などにはイラクへの派遣拒否を「憶病者」「仲間の兵士への裏切り」と非難する人たちもいる。そんな声にエレンさんは「良心に反してイラクへ出向くのは、戦争犯罪に加担することになる。ここで妥協すれば一生後悔すると思う」と胸の内を明かした。

 その言葉に接して三カ月後の十月、再びエレンさんにあった。彼の気持ちに揺らぎはなかった。

 ■早期撤退を願う

イラク戦争派遣拒否者
 米兵の戦争反対者らを支援する市民団体などによると、2006年6月末までにエレン・ワタダ陸軍中尉のように個人の「良心」を理由にイラクへの派遣、再派遣を拒否し、軍法会議にかけられた兵士は10人。うち2人は服役中である。

 イラク派遣を避けてカナダへ移った兵士は200人を超える。少なくともその中の9人はイラク戦争反対を明確にして、社会に訴えている。イラク戦争開戦以後、無許可の隊離脱者は6400人以上。1万人を超すとのデータもあるが、実数は不明である。
 十一月に入り、軍法会議は〇七年の二月五日に同基地内で開かれることが決まった。それに先立つ検察、弁護側双方の事前聴聞会が、一月四日にあった。検察側はブッシュ大統領らへの侮辱発言を罪状から除外。計六年の刑と懲戒除隊を求めた。

 サイツさんは、エレンさんがメディアや集会で発言したイラク戦争の不道徳性や違法性について「将校にふさわしくない」との罪状は除外されるべきだと主張した。イラク戦争になぜ参加しないか、その説明のための発言の自由は、兵士といえども憲法で保障されているとの理由からである。主張が認められれば四年の減刑となる。

 軍法会議では、判事も陪審員も全員が軍人である。仮にエレンさんの側に正当性があっても、簡単に主張が認められる可能性は少ないだろう。

 年が明けた現地時間の五日、国際電話でエレンさんと話した。「イラクでの米兵の死傷者は日々増え続け、その何倍ものイラク市民が犠牲になっている。この裁判が一日も早い米軍撤退につながり、正義の回復につながれば…。兵士として、今、私ができる務めだと信じている」

 変わらぬ落ち着いた声が、エレンさんの覚悟のほどを示していた。


イラク派遣を拒否したエレンさん支持のポスターを掲げ、高速道を走るドライバーに右手で「ピースサイン」を送る母親のキャロライン・ポーさん(手前)。支持を表す車の警笛が間断なく辺りに鳴り響いた(タコマ市) サングラスに帽子というラフな格好で陸橋での集いに加わり、参加者と話すエレン・ワタダさん(右から2人目)。集いには70キロ以上離れた地から駆けつけた日本山妙法寺の日本人住職の姿もあった (タコマ市)

| 中国新聞TOP | INDEX | BACK | NEXT |