2007.01.28
10.  退役軍人ホームレス   心身に傷 帰る場所なく



 ペンシルベニア州最大の都市フィラデルフィア市。人口約百五十万人。二百二十年前の一七八七年には、アメリカ合衆国憲法が制定されるなど建国ゆかりの地でもある。その都市に今、退役軍人らホームレスが増えている。

 同市内にあるいくつかのホームレス支援施設を回ってみた。その一つ、教会関係者が運営する「日曜朝食協会」。四階建てビルの入り口付近には、女性を含め二十人ほどが所在なげにたたずんでいた。

 「イラク戦争に参加した人はいますか?」

 玄関にいる人たちに声を掛けてみた。その場にはベトナム戦争や湾岸戦争の退役軍人はいたが、イラク戦争の関係者はいなかった。しかし、しばらく待っていると「イラク戦争の退役軍人だ」という黒人男性二人が、建物内から現れた。この施設には、一カ月間を限度に無料で滞在できるベッドが九十床あった。

 自己紹介し、取材の趣旨を伝えると「ノー・プロブラム(いいとも)」と、二人とも意外なほどすんなりと取材に応じてくれた。その場から少し離れた、人気のないビル入り口の階段に座り込んで話を聞いた。

 ■自爆テロで被弾

 「名前はアンソニー・アレキサンダー。階級は陸軍二等軍曹」。迷彩服を着たアレキサンダーさん(50)は、まるで軍隊生活の延長のようにはきはきとした口調で答えた。短髪。こけたほおが精悍(せいかん)な印象を与えた。

 イラクへ派遣されたのは二〇〇三年七月。ジョージ・ブッシュ米大統領が航空母艦に乗り込み、誇らしそうに「戦闘終結宣言」をして二カ月がたっていた。通信隊員の彼は、首都バグダッドの米軍司令部を拠点にそれから丸三年、市内や近郊の通信設備の設置と維持に当たった。

 「着任当初は、電話用の電柱を立てたりしていても、それほど危険を感じなかった。でも時間がたつにつれ、どこに敵がいるか分からないほど治安は悪化していった」

 アレキサンダーさんは、直接戦闘に加わることはなかった。だが、目前で仲間の兵士が殺され、イラク人も死んでいった。道路沿いに仕掛けられた爆弾などで、一つ間違えば命を落とす可能性もあったという。

 〇六年三月に起きた事件が、とりわけアレキサンダーさんの肉体と精神を今も苦しめる。街中で作業中、米兵にキャンデーを求めて近づいてきた少年が、自爆テロを決行したのだ。周りにいた米兵やイラク人の何人が、そのとき死傷したのか分からない。自らも両足を負傷し、米軍の野戦病院に運ばれた。

 「ほら、ここに手術痕があるだろう」。ズボンをたくし上げたアレキサンダーさんは、両ひざの内側にできた長さ六センチほどの傷あとを指さした。「ここにはまだ弾が残っている。痛みはあるけれど、摘出手術をすると歩けなくなると医師が言うのでそのままにしているんだ」

 結局、彼はこのときの負傷がもとで七月、一九八九年以来十七年間勤務した陸軍を除隊せざるを得なかった。

 「でも、なぜホームレスに?」

 「イラク駐留が、私の人生のすべてを変えてしまった」とアレキサンダーさんは言う。

 フィラデルフィアで生まれ育ち、十九歳で結婚した彼には、妻(49)との間に三十歳を頭に七歳までの五男五女の子どもがいる。が、イラクから帰還、除隊したとき、妻はすでにほかの男と一緒だった。「私が帰るまで待てなかったのだ」とアレキサンダーさんは声を落とした。

 ■麻薬や酒に依存

米退役軍人ホームレス
 米退役軍人のホームレスの人数について、これまで正確に調査したデータはない。しかし米退役軍人省は、全米で約20万人のホームレスがいると推定している。男性のホームレスの3人に1人は、退役軍人ということになる。また、年間では約40万人の退役軍人が、1日以上ホームレスの状態を体験しているとみている。

 退役軍人のホームレスのうち、ベトナム戦争関係者が約45%と最も多い。湾岸戦争と現在のイラク戦争、アフガニスタン戦争を合わせた関係者も約10%とされる。

 全米で約250の非営利団体が、退役軍人のホームレスを支援している。退役軍人省とタイアップしている団体だけでなく、教会などが独自に支援しているケースもある。フィラデルフィア市内には、20以上の民間団体が、退役軍人を含めたホームレス支援のための施設を運営している。
 寝ていると、戦場での悲惨な場面や恐怖体験がフラッシュバックした。今でも三時間以上は眠れない。コントロールの利かない頭の中の騒音。繰り返す戦争の悪夢…。

 兵役中は決して手を出さなかった麻薬をやり、酒におぼれた。これまでもらった給料は、すべて家族に与えた。だが、今はその金もない。

 「毎月、国から支給される障害年金は百十二ドル(約一万三千五百円)。全額認定のわずか10%。その金も子どもたちに渡している」

 月に一度、退役軍人病院へ通って精神科の治療を受け、精神安定剤などの処方を受ける。「政府がしてくれるのはそれだけ。障害年金を百パーセント受給できるように要求しているのだが…」

 日曜朝食協会の世話になって半月。毎日の祈りの中で、麻薬とアルコール依存を断とうと努める。半月後にはまた、施設から出なければならない。職探しをしなければならないが、「足の負傷のために立ち仕事はもうできない」と、アレキサンダーさんはため息をついた。

 帽子に黒いTシャツ姿のモーリス・ウィルソンさん(49)も陸軍兵士だった。石工・れんが工事の専門職として〇三年五月にイラクへ派遣され、バグダッドに〇五年九月まで駐留した。

 「最初は破壊された橋に代わる仮橋の建設に当たった。その後は敵からの砲撃防止のために、米軍やイラク政府が利用する建物の周りに高いコンクリート壁を築いたりした」

 ウィルソンさんも直接戦闘部隊に加わったわけではない。しかし、何度も爆発現場や死体を目撃。「死と隣り合わせだった」と振り返る。

 イラクからの帰還と同時に、九〇年から十五年間勤めた軍を除隊。故郷のノースカロライナ州シャーリー郡の「小さな町」に家族を残して、フィラデルフィアにやって来た。

 「イラクへ行く前から妻との仲は良くなかった。長く離れていたので関係は完全に壊れた。十四歳になる双子の娘は母親と一緒にいる。会いたいが、今は旅行費用もない」。ウィルソンさんはよく通る太い声で言った。

 法的に離婚したわけではないが、関係修復の見込みもないという。ただ父親として子どもの養育費だけは稼ぎたいと強く願う。「現実は厳しい。仕事はあっても日銭稼ぎ。安定したいい仕事が見つからないんだ」

 ウィルソンさんは兵役中も除隊後も、麻薬や酒はやっていない。「今は毎日、施設内の教会で神に祈って希望を持ち続けている。何とか生活を再建したい」

 ホームレスの状態から抜け出そう。二人の話からは、そんな真剣な思いが伝わってきた。

 ■社会復帰 道険し

 彼らと会った後、市内にある民間非営利団体(NPO)の「フィラデルフィア退役軍人複合サービス・教育センター」を訪ねた。

 代表のエドワード・ロウリーさん(62)は、八〇年の創設時から運営にかかわる。ベトナム戦争退役軍人でもある彼から施設の説明を受けた。

 一日約百人への食事の提供。洗濯機やシャワーの便宜供与。テレビを置いた三階の娯楽室。四階にはコンピューター室を備え、就職に役立つ職能訓練も行う。二階は政府機関の退役軍人省地方出張所にレンタル。ここでは簡単な診療やカウンセリングを受けることができる。また、同市西方八十キロのコートビル市には、男性(九十五床)と女性(三十床)それぞれ専用の宿泊施設もある。

 「二〇〇五年にこのセンターを利用した退役軍人は約三万人、うち約一万九千人がホームレスだった。三年前に比べ利用者数も、ホームレスの数も一・五倍強になっている。でも政府の資金援助は、以前より五十万ドル(約六千万円)も減った」と、ロウリーさんは資金調達の悩みを打ち明ける。

 資金は連邦政府のほかに、州と市の補助、さらに民間からの寄付が頼りだ。中でも連邦政府の補助が大きい。「われわれは、ある意味で政府の肩代わりをしている。しかし今の政府や議会は、国のために奉仕した退役軍人に対して決して温かい政策を取っているとはいえない」と国の施策を批判する。

 ロウリーさんは今後、イラク戦争やアフガニスタン戦争の退役軍人ホームレスが増加するだろうとみる。センターには、すでに心的外傷後ストレス障害(PTSD)や家庭上の問題を抱えたイラク戦争退役軍人がかなり訪れているという。

 資金難に伴う教育スタッフの大幅減員、機械など地元製造業の衰退…。「ホームレスから抜け出し、社会復帰を果たす道のりは、支援する側にとっても、退役軍人にとっても容易ではない」

 ロウリーさんの厳しい見方は、アレキサンダーさんやウィルソンさんの前途をも示しているのだろうか。この街やニューヨークのような大都市には、二人のようにシェルターを求める退役軍人があまたいることだけは間違いない。


イラク戦争から帰還、除隊後にホームレスになった米元陸軍兵士のアンソニー・アレキサンダーさん(左)とモーリス・ウィルソンさん。「イラク戦争は間違っている。すべては石油のため」と2人は声をそろえた(フィラデルフィア市) 退役軍人複合サービス・教育センター3階の娯楽室でテレビを見る退役軍人。利用者のほぼ7割はホームレスである(フィラデルフィア市)

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