2007.02.11
12.  疾病イラク退役軍人   体むしばむ劣化ウラン



 ニューヨーク市から北へ約百二十キロ。人口二千五百人弱のニューヨーク州マールボロに、イラク戦争退役軍人のジェラルド・マシューさん(32)を訪ねた。休日の午後。庭の芝刈り作業を終え食卓のいすに腰を下ろした彼は、さえない表情で言った。

 「情けないけれど、今はこの程度の作業をするだけでひどく疲れてしまう。右手の感覚も薄れているし…」。厚い胸。太い二の腕。屈強に見える彼の体は、イラクの戦場で過ごした五カ月間で随分と衰えていた。

 幼児対象のセラピストの傍ら、予備役としてニューヨーク州陸軍国家警備隊に所属していたマシューさんが、クウェートの米軍基地に派遣されたのは二〇〇三年四月。イラク戦争開戦から約三週間後だった。輸送部隊で軍用トラックを運転していた彼は、バスラなどイラク南部を中心に補給物資を運んだ。戦闘で破壊されたイラクの戦車や軍用車を積み、クウェートへ運び出したりもした。

 「頭痛など体調に異変を感じたのは、到着一週間後ぐらいから。最初は暑い天候のせいと気にもとめなかった」と言う。しかし、日がたつにつれ頭痛が激しくなり、右顔面が毎朝腫れ上がった。ものが二重三重に見えたり、小水のたびに痛みを覚えるようになった。

 ■胎児の手に障害

 現地の軍医では対処できず、詳しい検査を受けるため、同年九月十日に首都ワシントンの陸軍病院へ回された。医師たちは次々と違った薬を投与したが、症状はあまり改善されず、原因も説明できなかった。約二週間治療を受けた後、彼はイラクへ戻ることなく、ニュージャージー州の陸軍基地へ移った。

 やがて妻のジャニスさん(32)の妊娠が判明。〇四年三月、定期検診の超音波検査で、胎児の右手に障害があることが分かった。ジャニスさんはイラクから帰還した夫との性交渉のとき、下腹部にこれまでになかった「バーニング・センセーション(燃えるような痛み)」を覚えるようになっていた。

 「夫の体調もすぐれないし、きっとイラクで夫の体に悪いことがあったに違いないと直感したの」。そばからジャニスさんが言った。

 マシューさんは、地元紙「ニューヨーク・デイリー・ニューズ」コラムニストのホアン・ゴンザレスさん(57)に連絡を取った。ゴンザレスさんが「イラク戦争帰還兵の健康状態について追跡調査している」と、似た症状を抱える帰還兵から聞いていたからだ。

 彼から、放射性物質の「劣化ウラン(U238)」を体内に取り込んでいないか、尿検査を受けるように勧められた。マシューさんにとって、初めて耳にする言葉だった。

 イラク戦争で米英両軍は、一九九一年の湾岸戦争時と同じように、対戦車などに有効な放射能兵器である劣化ウラン弾を使用していた。

 劣化ウランは、主としてアルファ線を放出する低レベル放射性物質。毒性の強い重金属物質でもある。硬い物質を貫通して砲弾の弾芯(だんしん)が燃え上がる際に、エアゾール状の微粒子となる。この微粒子を体内に取り込むと肺などにたまり、放射線や強い化学的毒性による影響で腎臓障害やがんなどさまざまな健康障害を引き起こすといわれている。

 精密な検査に必要な費用は、一人千ドル(約十二万円)。ニューズ紙は「真実を明らかにするために」と、すでにニューヨーク州陸軍国家警備隊のイラク戦争帰還兵九人について検査代を負担していた。マシューさんの検査サンプルは、比較のために同紙記者二人のサンプルと一緒に、カナダとドイツの独立機関の協力で検査を受けることになった。

 「私がサンプルを提出したのと前後して、九人の結果が出た。うち四人から劣化ウランが検出され、四月初旬にニューズ紙で、一人一人の症状とともに大きく紹介された」

 ■汚染の戦車から

劣化ウラン弾の使用と禁止運動
 米英両国は1991年の湾岸戦争で、初めて実戦で使用した。米軍の劣化ウラン使用量は320トン。95年のボスニア紛争、99年のコソボ紛争ではNATO(北大西洋条約機構)軍が使った。2001年秋から続くアフガニスタン戦争では米軍が、劣化ウランを含む誘導ミサイルなどを使用。03年のイラク戦争では、湾岸戦争より大量の劣化ウラン弾が使用されたと推定されている。が、米英両軍ともその量を明らかにしていない。

 禁止運動は80年代の後半、人体や環境への影響を恐れる米国の劣化ウラン弾製造工場や試射場周辺の住民から始まった。湾岸戦争で深刻な疾病に苦しむ米英両国の退役軍人や家族らも、その輪に加わった。

 イラク戦争反対の動きとともに、禁止運動は国際的な広がりを見せた。広島市では03年3月2日に「NO WAR NO DU」の人文字メッセージに6000人が参加。それを契機に「劣化ウラン弾禁止(NO DU)ヒロシマ・プロジェクト」の市民組織が6月に誕生。03年12月に発足した国際組織「ウラン兵器禁止を求める国際連合」(ICBUW)の中でも中心的役割を果たしている。昨年8月には、広島で第3回ICBUW国際大会が開催された。ベルギーやイタリア、英国など欧州各国での活動が活発である。
 憲兵隊所属の四人は、マシューさんと同時期にイラクへ派遣された。彼らは激しい戦闘があったとされるイラク中部サマワ市の鉄道駅そばに野戦基地を設置した。すぐ近くには、劣化ウラン弾で破壊された戦車などが放置されていたという。

 マシューさんは半年後の九月に除隊。同じ月に三人の尿検査の結果が届いた。「心配だった」という彼の懸念は的中した。記者二人からは劣化ウランは検出されず、マシューさんだけが四―八倍の高い数値を示した。「劣化ウラン弾で破壊されたイラクの戦車などを運んでいるうちに、ウラン微粒子を体内に吸引したのだろう。砂嵐や、トラックが巻き起こすほこりに混じって、地表に残るウラン微粒子も吸入したに違いない」。マシューさんは、ほかの四人よりも数値が高かった理由をこう推測する。

 六月二十八日には娘のビクトリアちゃんが生まれた。右手の三本の指が欠損していた。「生まれたときは正直ショックだった。でも、夫の検査結果が出て、自分たちに責任がないと思えた。夫の体や、娘の障害に対しても、政府は全面的に責任を取ってほしい」。ジャニスさんは、二歳になったビクトリアちゃんの手を見つめながら強い口調で言った。

 私は一九九九年十一月から翌年二月にかけて、劣化ウラン(弾)の影響について取材するため米国、英国、旧ユーゴスラビアのセルビア、コソボ両地域を歩いた。特に米国では湾岸戦争帰還兵だけでなく、劣化ウラン弾の製造工場の労働者や試射場を含む周辺住民をもインタビューした。

 マシュー夫妻が語った「バーニング・センセーション」という言葉も、米国の湾岸戦争退役兵の夫妻から初めて耳にしたときは信じられない思いだった。が、米英両国退役兵の何組ものカップルから同じ体験を聞くに及んで、その重大さに気づいた。その上、こうした退役兵の夫妻には、先天性障害児を抱えたケースが少なくなかった。

 マシュー夫妻らは、湾岸戦争などを通じて劣化ウランの危険性が分かっていながら、予備役や家族にその情報を一切伝えず、防護マスクすら支給しなかった軍当局に強い不信と怒りを覚えた。そして〇五年九月、ニューズ紙の助力で劣化ウランの体内蓄積が判明したイラク帰還兵九人と妻ら計十六人が、米陸軍省を相手に、ニューヨーク南部連邦地裁に損害賠償を求める訴訟を起こした。

 米国では軍役に伴う被害に関して、兵士が政府を訴えることを禁じる最高裁判例がある。一九五〇年に出された「フェレス原則」と呼ばれるものだ。〇六年九月六日に開かれた初の聴聞会では、陸軍側弁護士が「フェレス原則」を盾に、訴訟の無効性を訴えた。

 だが、担当判事はその約三週間後に「除隊後の治療における軍医の不適切な医療行為については、訴えを妨げるものではない」との裁決を出した。さらに、帰還兵の配偶者にも訴訟の権利を認めた。

 「軍医が適切な治療を怠ったことや、被害が妻にも及んでいることを認めた意義は大きい」とマシューさんは喜ぶ。「自分たちと同じように、イラク戦争で健康を損ないながら劣化ウランについて知らない帰還兵や家族はまだ多い。この裁判はこうしたすべての兵士と家族のためにあると思っている」

 もっとも、本格的審議はこれからである。米国防総省は、劣化ウランと退役兵らの疾病の因果関係を認めることをかたくなに拒み続けている。

 ■「ペンの力」支え

 後日、ニューヨーク市内のある会合でゴンザレスさんに会った。なぜ新聞社が費用まで出して、疾病に苦しむマシューさんらイラク帰還兵にこだわるのか。その問いに彼は、米国の核兵器開発や核実験に伴う半世紀以上に及ぶ歴史を振り返った。その中で軍やエネルギー省など政府機関が、どれほど自国の兵士や一般住民を意図的に被曝(ひばく)させてきたかに触れ、こう強調した。

 「劣化ウランの影響を否定している政府の姿勢は、核兵器開発を優先させてきた過去と同じ。しかし、劣化ウラン弾の使用や製造を禁止しなければ、地球上は放射性物質で汚染されてしまうだろう。その危険は、イラクの住民は言うまでもなく、疾病に苦しむ多くの米帰還兵の現実が如実に示している」

 マシューさんらイラク帰還兵にとって、ゴンザレスさんの「ペンの力」は大きな支えとなっている。


「将来、娘から手のことについて尋ねられても、事実をきちんと答えられるようにしておきたい」と、ビクトリアちゃんを抱いて話すジェラルド・マシューさんと妻のジャニスさん(マールボロ市) メディア関連の集いで講演をするホアン・ゴンザレスさん。「事実を掘り起こす報道の重要さ」を説いた(ニューヨーク市)
3本の指が欠損したビクトリアちゃんの右手

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