2007.02.18
13.  ヒーローたちの家族   美化できぬ戦死 早期撤退へ結集



 「あなたのご子息は、真のアメリカのヒーローです」。自宅玄関に現れた米海兵隊中佐は、敬礼し直立不動の姿勢で、ポール・シュレーダーさん(57)と妻のローズマリー・パルマーさん(59)に言葉を掛けた。イラク駐留中の夫妻の一人息子、二十二歳のエドワードさんの戦死を告げに来たのだ。

 二〇〇五年八月三日早朝。オハイオ州クリーブランド市に住む貿易商で大学講師のポールさんと、高校教師のローズマリーさんは、イラク中西部ハディーサ市外で、十四人の海兵隊員が同時に殺されたことをインターネットで知った。全員がクリーブランド郊外にある海兵隊第三旅団所属のオハイオ州予備役だった。

 「もしかして息子も…」。二人の海兵隊員がやって来たのは、それから数時間後の午前十時四十五分だった。説明によると、走行中の水陸両用軍用車が道路に仕掛けられた強力爆弾で横転して炎上、地上に吹き飛ばされた運転手を除き車両内にいた全員が死亡したというのだ。米軍にとって一度に十四人の犠牲者を出すのは、開戦以来最大規模のものだった。

 「二〇〇五年三月に息子がイラクへ派遣されて以来、私たちはいつも生きた心地がしなかった。それが最悪の結果に…」。居間のソファでローズマリーさんは、ほおをぬらしながら言った。ポールさんがそばから続けた。「正直、今も悔しい。残りの任務は六週間、何としても無事に帰って来てほしかった」

 ■なお深い喪失感

 今も決して癒やされることのない喪失感が、ひしひしと伝わってきた。しかし、二人は悲嘆に暮れるだけの日々を過ごしてきたのではなかった。海兵隊の使者が帰ると、すぐに地元のマスコミなどに連絡したのもその表れだった。

 「親ならだれだって、息子が無駄死にしたとは思いたくない。でも、私たちはイラク戦争に何の意味も見いだせない。もうこれ以上、息子のような無駄な犠牲者を出してほしくない。マスコミを通じて、私たちの思いを広く伝えたかった」とポールさん。ローズマリーさんが言葉を継いだ。

 「英雄というとその死だけがたたえられる。しかし、人間の本当の価値は生きている姿にこそある。息子はどこにでもいるアメリカの若者だった。戦死したのはあなたの子どもや夫だったかもしれない。息子の死を通して、多くの市民に命の尊さと戦争の無意味さを考えてもらいたかった」

 オハイオ州立大学コロンバス校の二年生だったエドワードさんは〇二年三月、十九歳で海兵隊予備役に登録した。前年の「9・11米中枢同時テロ」でかき立てられた愛国心が予備役になった動機だった。「アメリカの平和と自由が、イスラム教徒のテロリストによって脅威にさらされている」。ブッシュ大統領の言葉を信じ、多くの学生たちも同じころに予備役に参加したという。

 入隊に反対だった両親へは、署名後に電話で伝えてきた。「私はひと言も息子に話せなかった。涙だけがあふれた」。母親が受けた大きなショック。だが、一度息子が決めてしまった以上、変更することはできなかった。

 もっとも、彼が入隊したころは、アフガニスタン戦争に招集される可能性はあっても「イラク戦争が起きるとは、息子も私たちも思っていなかった」とポールさんは言う。

 エドワードさんに招集がかかった〇五年には、多数派のシーア派と少数派のスンニ派のイスラム教徒内部の対立が深刻になりつつあった。両親はもともと戦争に反対だった。大量破壊兵器の保有などイラク戦争を始めた理由も見つからない状況で、エドワードさんもすでに戦争を支持していなかった。

 だが、契約期間は残り一年。上官に戦争反対の声を上げることもできなかった。「任務をやり遂げるしかない」。エドワードさんは、自身の意にそむいてイラクの戦場へと向かった。

 イラク駐留中、彼は家族に心配を掛けまいと、電話でも電子メールでも、危険な目に遭ったことは伝えようとしなかった。しかし、徒労感がにじむメールもあった。「いくらパトロールをして武装勢力を制圧しても、部隊が次の町に移ってしばらくすると、また元の場所に戻ってきて彼らが支配してしまう。今やっていることは、支払う代価にまったく見合わない」と。

 事件が起きる五日前に届いたエドワードさんからの短いメール。「いろいろな事件が起きているのはニュースで知っていると思うけれど、ぼくは大丈夫だから」。心配を掛けまいとする息子の配慮が、かえって両親にとって切なかった。

 イラク戦争に反対するのは、戦場で戦う兵士への裏切り。ポールさん夫妻は、周りから「非愛国者」と見られることを心配して、エドワードさんが戦死するまで表立って反対の声を上げることはなかった。しかし、「支払う代価に見合わない」という息子の思いを政策決定者らに伝えることが、息子の死を無駄にしない道だと思えた。

 ■会員1500人に拡大

声を上げる軍人家族
 米軍に家族か親類がいて、イラク戦争に反対する人々で構成される。設立はイラク戦争前の2002年11月。戦争が濃厚になりつつある状況に危機感を抱いた2人の軍人家族が、運動を起こした。イラク戦争だけを対象としている点が特徴である。イラクに駐留中であったり、これから派遣される可能性のある軍人家族にとって、表だって反対行動を起こすのは容易ではない。

 しかし、これまでに3200家族以上がメンバーに加わり、首都ワシントンのほか、全米26州33カ所に支部がある。特定の戦争に反対する軍人家族としては、米国史上で最大の組織に広がった。

 主な活動はイラク戦争終結に向けて、地元やワシントンでの連邦議員へのロビー活動と、さまざまな形での市民へのアピール。現在はブッシュ政権が打ち出した、2万人を超すイラクへの米軍増派予算を議会で承認しないよう働きかけている。イラク駐留中のすべての米軍兵士が、安全かつ早期に本国へ帰還できるように、「平和のための退役軍人」や「戦争に反対するイラク退役軍人」「変革を求める戦死者家族の会」などとも協力している。
 二人はその年の十一月、「変革を求める戦死者家族の会」を設立し、イラク戦争早期終結のための政策を超党派で打ち出すように訴えた。イラクとアフガニスタンでの軍事行動に参加した負傷者や疾病帰還兵への十分な手当てを施すことも目的に掲げた。会員数は戦死者家族のほかに、兵士やその家族、友人らを含めて千五百人に達した。

 「一番力を入れているのは、それぞれの地元での上下両院議員への直接的な働きかけ。三千五百億ドル(約四十二兆円)を超える膨大な戦費を民生予算に回したら何ができるか、それを具体的に示してもいる」と、ポールさんは会のウェブサイトを開いて説明した。

 息子を失ってから、ポールさんは貿易ビジネスを中断し、大学講師も休んでいる。英語とスペイン語を教えているローズマリーさんも、昨年九月から一年間の休職中だ。

 「各地で私たちの体験を語ったり、議員に要請したり、新聞などに投書したり…。今はそれ以外のことに情熱が向かない。心が安らぐのも、こんな活動で忙しくしているときなんだ」。夫の言葉に、妻も深くうなずいた。

 海兵隊第三旅団は、十四人を失う二日前の八月一日、同じハディーサ近郊で所属部隊の六人を敵の狙撃によって失っていた。その一人、ダニエル・ディヤーミンさん。二十二歳。クリーブランドから南へ車で一時間余。人口約一万六千人のトールメッジ市に遺族を訪ねた。

 「悪いけれど母親も父親も、今でも息子の話をすると、彼のことを思い出して苦痛が大きすぎるの」。ダニエルさん家族と同居している祖母のバーバラ・デービスさん(70)が、父母に代わって取材に応じてくれた。

 一九〇センチ、八二キロ。恵まれた体格のダニエルさんは、高校卒業一年後の〇三年、十九歳で海兵隊に入隊。エドワードさんと同じように、両親や祖母には事後報告だった。母親のイーディーさん(44)も祖母も、軍隊に入るのは猛反対だった。「でも、十八歳になると親の同意は不要。どうにもならなかった」とバーバラさんは言う。

 〇五年三月に派遣されたイラクでは狙撃隊に属していた。五〇度近い暑さに足はむれ、靴下がすぐ駄目になるため一度に三百足、五箱分の靴下を母親が送ったこともあった。

 「ダニエルは人に尽くすのが好きな子だった。だから母親は、気を利かせて仲間の分まで送ったのよ」

 孫からバーバラさんへの最後の電話は、事件の二週間前。彼女が所有するフロリダのアパートにいるときだった。気がつくと六十七分も話していたという。「九月にオハイオへ帰還したら、車と親が所有するアパートの一室を購入すると言っていた。楽しみにしていたのに…」と、バーバラさんは唇をかんだ。

 ■優しい遺志継ぐ

 三十年間小学校教師を務めたという彼女と一緒に、車でトールメッジ市内にある墓地を訪ねた。その一角に、軍の制服姿のダニエルさんを描いた大きな墓があった。

 「娘のイーディーも私もよくここへ来るの。ダニエルは私たちにとって誇りだし、慰め。ヒーローでもある。でも、決して国のために死んだヒーローなんかじゃない。ブッシュ大統領ら政権指導部の誤った政策で命を落としたのよ」。バーバラさんのその声には強い怒気が含まれていた。

 バーバラさんやイーディーさんは〇五年九月、全米市民組織「声を上げる軍人家族」らが主催する首都ワシントンでの集会やデモに参加。イラクからのアメリカ兵の即時撤退などをブッシュ政権に求めた。バーバラさんは昨年三月にも、ニューヨークでの大きな反戦集会に加わった。

 イーディーさんは、スクールバスの運転や、アパートの管理など忙しく働きながら、今はイラク戦争で負傷した帰還兵のための資金集めに奔走する。自営業の夫(49)やバーバラさんも手伝っている。「少しでもみんなの役に立ちたい。それは周囲の者に優しかったダニエルの遺志を継ごうとしているから」。バーバラさんは、家族の思いをこう代弁した。

 オリンピア、サンフランシスコ、シカゴ、フィラデルフィア、首都ワシントン…。どこを訪ねてもイラク戦争に反対する多くの軍人家族に出会った。彼らからは「私たちの夫や息子、娘、孫たちの命を誤った目的に使ってほしくない」というブッシュ政権への強い批判と、政権に歯止めをかけることができない議会へのいら立ちが表れていた。


戦死した息子のエドワードさんの写真を手に、思い出を語る父親のポール・シュレーダーさんと母親のローズマリー・パルマーさん。「英雄だ、愛国心だ…そんな言葉を何度も耳にすると、心の傷口に塩を擦りつけられる思いがする」(クリーブランド市) イラクの戦場で子犬を抱いて息抜きをする故エドワード・シュレーダーさん(ポール・シュレーダーさん提供)
イラクで戦死した孫のダニエル・ディヤーミンさんの墓を見つめる祖母のバーバラ・デービスさん。「ここに来ると、私たちと同じ悲しみにくれる何十万、何百万ものイラク人のことが思われてならない」(トールメッジ市) イラクの駐留先の宮殿で、狙撃隊の仲間とソファに座って記念写真に納まる故ダニエル・ディヤーミンさん(左)(バーバラ・デービスさん提供)
米上院議員会館前で、イラクからの米軍即時撤退を訴える「声を上げる軍人家族」のティム・ケーラーさん(48)。息子(22)はイラク駐留中。大学職員の彼は、ほかのメンバーとともに上院議員らへのロビー活動などをするため、3日間の休暇を取りカリフォルニア州サンディエゴ郊外から駆けつけた。並べられた靴はイラクでの米兵の戦死者数を表している(ワシントンD.C.)

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