2007.02.25
14.  米軍入隊勧誘   貧困層の若者に照準



 書類に囲まれた雑然としたオフィスで、オスカー・カストロさん(38)は、パソコンでの資料作成に余念がなかった。ペンシルベニア州フィラデルフィア市中心部にあるアメリカン・フレンズ奉仕団(AFSC)本部ビルの一室。若者への軍入隊勧誘の在り方を監視する同奉仕団全米コーディネーターの彼は、作業を終えると作成したばかりの資料を前に言った。

 ■明白な人権侵害

 「この資料は、公立高校の生徒を対象にした軍による『ジュニア予備役将校訓練団』について批判したものだ。アメリカでは軍国主義の価値観が市民社会に深く浸透している。特にブッシュ政権になってから、軍への入隊勧誘のための露骨な教育政策が取られている」

 カストロさんが中でも問題にするのは「どの子も後に残さない」という一風変わった名のついた法律だ。9・11米中枢同時テロ事件から四カ月後の二〇〇二年一月に成立した。

 法の名前だけで判断すると、学習に遅れのみられる生徒の指導に力を入れ、だれもが取り残されることのない教育を目指しているかのような印象を受ける。だが、実態は教育関連会社が作成した全国標準テストなどを定期的に実施して学校間の競争意識を高め、ひいては子どもたちの学業レベルを高めようというものである。

 「ただそれだけなら『名前に偽りあり』という指摘だけで済むかもしれない。ほかの国で実施されていることでもある」。カストロさんは厳しい口調で続けた。「問題は連邦政府の助成金を得るために、高校は生徒の名前、住所、電話番号、成績まで最寄りの軍リクルート事務所に提出しなければならないことなんだ」

 彼の説明に、一瞬わが耳を疑った。人権問題に敏感なはずのアメリカで、本人や親の承諾もなく外部に個人情報を提供するとは信じ難い。もしそれが事実なら、明らかな基本的人権の侵害ではないか。

 「その通り。われわれは基本的人権の侵害だとしてやめるように政府に働きかけている。国内最大の人権団体である全米市民自由連合や、全米弁護士組合も同じ立場だ」

 9・11テロ事件から一カ月半後には包括的なテロ防止法として、電話の盗聴許可など人権侵害に当たる内容を多く盛り込んだ「愛国者法」が成立した。「どの子も後に残さない法」も、軍事優先の価値観に「テロとの戦い」の熱気が加わり、内容が十分に検証されぬまま議会を通過した、とカストロさんはみる。

 軍のリクルートセンターがこれまでに集めた十代半ばから二十代半ばまでのデータ数は、三千五百万人にものぼるという。軍と契約した企業がデータベースを作成。年齢、学年、性別などでの分類のほか、郵便番号で地域別に編成し、裕福な地域と貧しい地域とを区別する。陸軍、海軍、空軍、海兵隊とそれぞれに分かれた地区の勧誘員が主として標的にするのは、貧困地区の若者である。

 ■夢実現への近道

アメリカン・フレンズ奉仕団
 英語で「American Friends Service Committee」。第一次世界大戦中の1917年、非暴力、平和主義を信奉するクエーカー教徒によって設立された。良心的兵役拒否を求める若者たちに、戦争への参加ではなく、助けを必要とする世界の人々への奉仕活動の機会を提供した。第一次大戦中や大戦後は、主としてフランスで救済活動に当たった。活動は途絶えることなく続けられ、第二次大戦後は日本や中国、インドでも活躍。47年にはその活動が認められて、ノーベル平和賞を受賞した。

 50年代以後は、戦争にいたる背景に南北間の経済格差や不平等が大きな影響を与えているとして、発展途上国での人材育成や技術支援に力を注いできた。さらに戦争の根底にある不正義をなくすために、海外での活動だけでなく、国内でも差別を受けてきた先住民やヒスパニックら少数民族の権利擁護に尽力。フィラデルフィアの本部をはじめ、サンフランシスコなど国内11の支部を拠点にイラク戦争の反対活動にも積極的に取り組んでいる。
 「例えば、勧誘員が貧困家庭の中から、卒業見込みのある比較的成績の良い高校生を選び、本人の携帯電話にかける。ほとんどの者は、なぜ自分の電話番号を知っているのかと疑念を抱くより、制服へのあこがれや食事に誘われたことがうれしくて簡単についていく」

 会うと今度は、本人の希望を聞きながら、入隊すればその希望がかなえられると説明する。将来、大学で学ぶための政府支給の奨学金の取得、よりよい就職のための職業訓練、海外基地勤務での外国旅行、貯金…。貧しい地区に住む若者たちにとって軍への入隊が、貧困から脱出する早道であるようにも思えてくるのだ。

 「実は私も、そうした若者に近い存在だった」とカストロさんは打ち明ける。米自由連合州のプエルトリコから移住した両親は、デラウェア川を挟んでフィラデルフィアの対岸にあるニュージャージー州キャムデン市で新生活を始めた。彼が生まれた人口約八万人のその都市は最貧地区で、全米でも最も犯罪の多い街の一つとして知られる。

 貧しい労働者階級の家庭で育ったカストロさんの家族や親類で、大学教育を受けたのは彼一人。大学へ行きたくても「授業料が払えない」のが実情だった。彼は何とか州内の大学に入学したが、最初から授業料の支払いに窮した。

 「金を工面するために軍への入隊を真剣に考えた。でも、そうしなかったのはベトナム戦争退役兵のおじの一人が、心的外傷後ストレス障害(PTSD)から酒やドラッグにおぼれ、体に病気も抱えて悲惨な生活を送っていたのを見ていたからだ」

 結局、カストロさんは奨学金やアルバイトで得た金で社会学を中心に学び、一九九二年に大学を卒業した。他の民間非営利団体(NPO)を経て〇二年から現職に就いたのも「私の過去の生い立ちと切り離して考えられない」と強調する。

 軍への勧誘方法は、個人的な電話以外にも多様である。高校や大学のキャンパス、ショッピングモール、映画館、フェスティバル会場…。さまざまな場所で声を掛け、勧誘冊子やグッズを配布する。ビデオによる戦争ゲームをさせたりもする。第二次世界大戦以前から続く「ジュニア予備役将校訓練団」は、高校の特別な課外活動の一環として長い伝統がある。

 ■校舎内で銃発射

 「全米で現在、三千二百余りの訓練団が組織されている。規律や指導力が身に付くというのが売りだ。国の防衛のために『抑止力』としての核兵器の必要性などを担当者から学ぶ。校舎の地下や学外で、銃を実際に発射したりする訓練もある」

 こうした学校は、黒人やヒスパニック系の有色人種の多い貧困地域に集中するという。「どの子も後に残さない法」に基づく個人情報の提供も、生徒の保護者らが反対して学校ぐるみで、あるいは個人的に提供を拒否することは保障されている。

 「しかし、貧しい地域ほど連邦政府の助成を必要としているのが現実。その上、助成を受ける弱い立場の教育委員会や教師たちは、反対することで非愛国者と見なされるのを恐れる。このため情報提供拒否の権利があっても、生徒や親にまで伝わらないことが多い」とカストロさんは現状を指摘する。

 フィラデルフィアをはじめ、校内での犯罪が多い公立高校では、登校の際に金属探知機を設置した門をくぐり、銃やナイフを持ち込んでいないかを警備員に検査される。社会科などの授業では、校内や地域の暴力をなくすために、どうすれば良いかを学ぶ。

 「その一方で、軍はおおっぴらにM16ライフルなどを学内に持ち込んで生徒たちにその扱いを指導する。話し合いによる紛争解決ではなく、武力行使優先の考え方を教えている。これほどの矛盾はない」とカストロさんは憤りを隠さない。

 非暴力と平和主義のクエーカー教徒の精神に根差すフレンズ奉仕団。全米各地に散らばるメンバーは「軍が行う入隊勧誘は都合の良いことを教えるだけ」と、実際に勧誘が行われている公の場や学校、教会などへ出かけては、若者や親たちに入隊に伴うマイナス面を伝えている。

 シカゴ支部では、〇六年七月のミシガン湖畔で開かれた大規模なフェスティバル会場で、各軍が設けた勧誘テーブルそばで約三十人がビラを配布。戦争で死傷する可能性を含め、軍隊に入隊した際に直面する問題について若者たちに注意を喚起した。が、弁護士を含めメンバー七人が「秩序妨害行為」で警察に逮捕されたという。

 シカゴ滞在中に、その場に居合わせたジェニー・デールさん(22)に会った。シカゴ支部研修生の彼女は「二〇〇五年のときは逮捕されなかったのに…。憲法で保障された私たちの表現の自由を踏みにじられた。FBI(連邦捜査局)はここの事務所の電話の盗聴までしていたのよ」と憤慨したものである。

 年間のリクルート予算は約四十億ドル(約四千八百億円)。膨大な予算を費やしても、最近はイラク戦争やアフガニスタン戦争に伴う死傷者の増加などが影響して「入隊者数の目標に達していない」とカストロさんは言う。

 ベトナム戦争中の一九七三年に徴兵制度が廃止されて三十余年。その後は志願制になったとはいえ、勧誘の標的は圧倒的に貧困層だ。「ポーバティ・ドラフト(貧困者の徴兵制度)」に取って代わったとさえいわれる。イラク戦争で多くの死傷者を出しながら、大多数のアメリカ人が変わらぬ日常生活を送っているのも、ポーバティ・ドラフトと決して無縁ではないだろう。


「不幸なことだが、イラク戦争やアフガニスタン戦争での死傷者が増えることで、マスコミを含めわれわれの活動に関心を向ける市民が増えた」と話すオスカー・カストロさん(フィラデルフィア市) 「戦費がすべての子どもたちを後に残す」―法律をもじった言葉が記されたTシャツを示すジェニー・デールさん。膨大な戦費が「貧しい地域の公教育を荒廃させている」と訴える(シカゴ市)

| 中国新聞TOP | INDEX | BACK | NEXT |