2007.03.04
15.  都市貧困層の若者   暴力や誘惑 隣り合わせ



 大人びた顔立ちの中にもあどけなさが残る高校二年のユディラ・ダビラさん。十七歳。その日の授業を終えた彼女は、カリフォルニア州オークランド市の下町にある小さなレストランで、身の回りで起きている出来事や自らの生い立ちについて淡々と語った。

 「白人が多く住む丘の方と違って、中南米系の貧しいラティーノや黒人が多く住む平たんな地域では、特に犯罪が多い。私の二人のいとこも一カ月前に殺された。麻薬の取引をめぐるトラブルからよ」

 ダビラさんの三歳年上の兄も、高校一年のころから若者たちの不良集団に入っていたという。二年余り前、仲間の一人がナイフでのどを切られて殺された。「兄は自分にも同じことが起こらないようにと、その事件をきっかけに不良集団から離れた。今は地元の大学の一年生。身内で大学へ入ったのは兄が初めてなの」

 ■雑役こなし収入

 ダビラさんの母親(38)はメキシコ人、父親はアメリカ人である。兄のほかに、弟(13)と妹(11)がいる。四人ともメキシコ中部のサカテカス市生まれ。ダビラさんが七歳のとき、米ネバダ州に移り住んだ。だが、父親の暴力や浮気に耐えかねた母親は数カ月後に離婚。子どもを連れ、オークランドに移住していた母の兄や姉たちを頼って同市へ引っ越した。

 「貧しさはアメリカへ来ても変わらなかった」。ダビラさんは「少しでも家計の足しに」と、十歳のときから近所のマーケットで働き始めた。やがて家族と離れ、オークランド近郊の白人家庭に住み込み、掃除など雑役をこなして収入を得た。

 「つらいときもあったけれど、我慢をして働いた。学校には行かず、勉強は自分なりにやった。でも、オークランドに戻った十三歳のころに、私も不良集団に誘われて仲間に加わってしまった」。ダビラさんは手元の飲み物もほとんど口にせず、こちらが驚くほどオープンに話し続けた。

 そのころ、彼女は中学生になっていた。熱心なカトリック信者の母親は、すさんだ生活を送る娘を厳しく責めた。が、勉強や成績にはほとんど関心を示さなかった。その上「ラティーノはいくら頑張ってもこの国では成功しない」と、彼女の心をくじくような言葉ばかりを投げかけた。ほかの家族も自分を嫌っているように感じた。

 不良集団の仲間といたときは、勉強などどうでもいいように思えた。しかし、兄が不良集団から離脱するきっかけとなった事件にも影響され、ダビラさん自身もグループから徐々に離れていった。「このままでは自分は、どこへも行き着かない。それどころか自分の身を滅ぼしてしまう。新しい道を歩まねば…」

 そんな思いが彼女を支えた。入学したオークランドの公立高校へは、女友達の家庭に身を寄せてそこから通った。母親や家族との折り合いが悪かったからだ。

 当時、彼女が通っていた生徒数千人を超す学校では、生徒同士の暴力ざたなどが頻繁に起きた。校内でのいざこざ、中学のころから続く母親との仲たがい…。特に彼女は、家族を深く愛していながら受け入れられていない現実に悩み、二年ほど前から抑うつ症状がひどくなったという。

 二〇〇六年春に通っていた学校を退学。九月から生徒数二百人弱の現在の公立高校に籍を移した。再び学校へ通うようになれたのは「住まわせてもらっている友達や、友達の家族が、将来のために高校を卒業し、大学へ行くように励ましてくれたおかげ」とダビラさんは感謝する。

 今は勉強に力を入れて、家族のことをあまり考えないようにしているという。独自学習による履修で二十単位を取得したが、今年五月末の卒業にはまだ単位が足りない。「でも試験の成績は、AやBが取れている。今は必ず高校を卒業するというのが目標。何とか奨学金を得て、兄と同じように大学へも行きたい」

 ■被爆者と共鳴も

米国の貧困都市
 2006年8月、米国勢調査局が発表した「05年アメリカ地域調査」によると、人口6万5000人以上の都市で貧困率が最も高かったのは、ニュージャージー州キャムデン市(人口約8万人)の44%だった。連邦政府は1世帯4人家族で年収2万ドル(約240万円)以下を「貧困層」としており、同市の平均所帯年収は1万8007ドル。貧困層に含まれる18歳以下の子どもたちは58%に達する。

 しかし、同市を含むキャムデン郡(人口約51万人)の貧困率は12%と下がり、平均所帯年収は5万3511ドル。ニュージャージー州全体(人口約842万人)では貧困率9%、平均所帯年収6万1672ドルと全米で「最も豊かな州」となっている。

 ちなみにオークランド市(人口約40万人)の平均所帯年収は4万4129ドル、貧困率は15%、貧困層の子どもたちは22%である。また、他の調査ではキャムデンの公立高校の中途退学者は約70%で、オークランド市より約20%も高くなっている。
 ダビラさんの体験を私と一緒にそばで聞いていた大柄なシャロン・ローンさん(15)。高校一年の彼女が置かれた環境も厳しいものがあった。母親は〇二年八月に病死。父親はそれから三カ月後に、家から通りに出たところで撃たれて死んだ。「麻薬を売るなどしていたので狙われたのだと思う」とローンさんは推測する。

 相次いで両親を失った彼女は、同じオークランドに住む母方の祖父母の元に身を寄せ育てられた。母親を失った悲しみ、目の前で起きた父親の悲惨な死は、当時十歳の彼女にあまりにも大きなショックを与え、しばらくは小学校にも行けなかった。

 祖父はベトナム退役軍人としての年金があり、祖母も養護ホームで料理人をしているので一定の収入がある。家や食べ物などの心配はない。「しかし、私にとって両親がいないということが、今生きる上で一番難しい」と言葉を選ぶように言った。

 将来は看護師になりたいという。「特に子どもが好きだから、小児科の看護師になりたい。でも、勉強はあまり好きじゃない」とはにかんだ。

 隣のダビラさんが、ローンさんをいたわるように話し掛けた。「両親を失ったあなたの方が、私よりも大変ね。みんないろいろと悲しんだり苦しんだりしているんだ。自分が一番苦しんできたと思い込んでいたから…」

 ダビラさんもローンさんも、同級生や先生、カウンセラーにこれまで自身の身の上話や悩みを打ち明けたことはなかった。「そこまで深い関係ができていないから」と二人は声をそろえた。

 彼女たちへの取材は、原爆の惨状など「ヒロシマ」について私が話した後だった。先生が「今度は記者さんがみんなの話を聞きたいそうだから、だれか放課後に協力してあげてください」と生徒に呼び掛けてくれたからだ。年齢の違う二人は、互いに顔は知っていてもこれまで言葉を交わしたことはなかった。

 被爆者らが長い苦しみに耐えて生きてきたことと、彼女たちのつらい体験がどこかで共鳴するところがあったのだろう。私が「外国人だから」という気安さもあったに違いない。

 ダビラさんは半年間、家族とは会っていない。夜など一人きりになったときに、深く落ち込むことがある。二年前には自殺を試みたこともあった。今では随分状態はよくなっているそうだが、それでも精神安定剤を服用するときがたまにあるという。

 そんな先輩にローンさんが「悩みは外に出した方がいいんだよ」と助言すると、「そうね」とダビラさんも笑顔で応えた。

 ■50%が中途退学

 二人のほかにも、校内で二年生のジャブリー・ロバーソンさん(16)の体験を聞いた。彼は十一歳のとき、オークランドの通りを歩行中に「ピストルの弾がかすって手術を受けた」と、耳の裏側の傷あとを見せた。

 同市内の他の学校に通っていた二年前、ロッカー内のかばんに拳銃が入っているのが先生に見つかり、退学処分になった。その拳銃は友達のものだった。ロッカーを共有していた友達にいたずらされたのだ。

 ロバーソンさんは、再婚した母親と継父が住む治安の良い「丘の住宅街」ではなく、治安の悪い地域におばと一緒に住んでいる。継父との関係が悪いからだ。「自分の身近な友達だけでも、これまでに七人が殺された。それも、ほとんどが二〇〇五年に…」と伏し目がちに言った。

 今は小規模な学校に転入して良かったと思っている。何とか二年間勉強を続けて高校だけは卒業したい。卒業後は「貨物船の船員になって外国へ行ってみたい」と夢を抱く。

 オークランド市内の公立高校では、生徒数約五万五百人のうち、68%が連邦政府の「無料昼食」対象となる貧困層である。入学生徒の約50%が、さまざまな理由で中途退学をしている。

 オークランドのような状況は、多少の差異はあれアメリカの都市部の貧困地域ではどこでも見られることである。私が訪ねたペンシルベニア州フィラデルフィア市や、隣接するニュージャージー州キャムデン市でも貧困層の高校生から悩みを聞いた。同じ市域でも、富裕層と貧困層が住む地域では治安や学校の状態、子どもたちが置かれた環境は大きく違う。

 貧困、暴力、麻薬、失業、家庭崩壊、人種差別、十代での妊娠…。格差社会の底辺をなす貧困層の大多数のティーンエージャーたちは、こうした環境の中で、多くの誘惑や危険にさらされ、もがき、苦しみながら必死に生きている。ダビラさんらのケースは、決して例外ではない。


「将来何になりたいかはまだはっきりしない」と話すユディラ・ダビラさん。「でも、お金を稼いで母や弟、妹を助けたい」(オークランド市)
「つらいことがあっても希望をもって生きたい」と目を輝かせるシャロン・ローンさん(オークランド市) 「強い意志がないと誘惑に負けてしまう」と言うジャブリー・ロバーソンさん(オークランド市)

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