2007.03.11
16.  平和教育   巨額戦費の矛盾説く



 担当の教師から紹介された平和教育ボランティアのスーザン・クウィンランさん(48)は、二十人余の高校生たちと元気にあいさつを交わした。彼女が住むカリフォルニア州バークリー市から車で約二十分。オークランド市の公立高校「エミリアノ・ザパタ・ストリート・アカデミー」での特別授業である。

 ■クッキー100億ドル

 クウィンランさんは円いクッキーと、細長いプラスチック製の透明の筒をあらかじめ準備。その筒に四十個のクッキーを入れて机に立てた。そして生徒たちに「後で分かるけれど、このクッキーはびっくりするほど高いのよ」と笑顔で授業を始めた。

 「ところで、政府は今『イラク戦争はイラクに自由と民主主義を与えるための戦いだ』と主張しています。そうだと思う人は?」

 「ノー」と一斉に声が上がる。「じゃ、何のため?」「石油を確保するため」という意見があちこちから返ってくる。「アメリカが攻撃されないため」という声も。

 「では、イラク戦争でこれまでに使った戦費はどのくらい?」。百億ドル(約一兆二千億円)、五百億ドル、千億ドル、二千億ドル…。生徒たちは思い思いに答えたが、額の大きさにいまひとつ実感が伴わないようだった。

 「正解は約四千億ドル(約四十八兆円)。その額がどれほど大きいか考えてみましょう」。彼女は積み上げた四十個のクッキーを示しながら、クッキー一個につきイラク戦費は幾らになるかと再び問いかけ、百億ドルという答えを引き出した。

 「じゃ、小学校から高校までに使われる国の教育予算は、クッキー何個分?」。生徒たちが推測し、四個分(四百億ドル)と答えた者に彼女はクッキーを渡した。「では、子どものための健康管理予算は?」(四百億ドル)「米軍入隊への勧誘費用は?」(四十億ドル)。彼女は生徒たちにとって比較的身近な事柄について尋ねていった。

 クウィンランさんは、戦費のほかにも、近代兵器による装備や兵器開発、海外基地の管理運営、兵士の人件費、軍関連負債など軍事に伴う年間予算を合わせると「一兆ドル(約百二十兆円)をはるかに超えている」と指摘。生徒からは「オーノー」と嘆声とも驚きともつかぬ声が上がった。

 「ところで、あなたたちや家族の生活、オークランドの状況はどうですか?」。彼女は、さらに生徒たちに語りかけた。

 「兄は仕事がなくて失業している」「大学へ行きたくてもお金がない」「警察官が減らされて殺人などの犯罪が増えた」「ホームレスが多い」…。生徒からは悩みや問題が次々と出された。

 クウィンランさんはこうした生徒たちの声に、今起きている地域の教育問題を付け加えた。

 二〇〇一年の「9・11米中枢同時テロ」事件以後、オークランドでは六つの小学校が閉鎖された。小学校の科学専門教師は約四万人に一人。美術や音楽教師の大幅欠員、中学校での図書館の相次ぐ閉鎖、進路相談など高校でのカウンセラー不足…。彼女は9・11事件後の軍事費の大幅な増加で「学校をはじめ、あなたたちの身近な生活予算が随分削減された」と説明した。

 「では、国家予算はどこへもっと使ってほしいですか?」。その問いに生徒たちは「学校施設の改善」「低所得者住宅の建設」「子どもたちの医療」「治安の向上」「職業訓練」などを挙げた。

 クウィンランさんは最後にこう問いかけた。「人を殺したり殺されたりするための軍事費ではなく、みんなの生活がよくなるような社会をつくるにはどのような行動が必要でしょう?」

 「選挙で弱者に目を向ける人に投票する」「新しいラジオ局を設立して、自分たちの考えを伝える」「メディアに訴える」「嘆願運動を起こす」…。生徒からの行動提起に彼女は「一つ一つ実行することが大切。今日習ったことを友達や家族に伝えてください」と締めくくった。

 ■入隊勧誘に対抗

 この日、特別授業を行ったストリート・アカデミー校は、一九七三年に設立された。生徒数約百八十人と、オークランドでは小規模校だ。ほとんどの生徒が黒人や中南米にルーツをもつラティーノである。他の学校を退学して再入学した生徒も多い。

 六年間、この学校で英語を教えているトレイシー・バーンズさん(39)は「生徒の多くは経済的にも家庭的にも恵まれていない。ここの子どもたちは将来、生活のために軍隊に入隊する可能性は高い。それだけに自分たちの生活と戦争が密接に結びつき、いかに矛盾が多いかを学ぶ今日のような特別授業はとても重要」と力強く言った。

 クウィンランさんは、全米市民組織「良心的兵役拒否者中央委員会」のメンバーである。同委員会は「教育を通じて戦争に代わる道を!」というプログラムを推進しており、彼女は中心的存在だ。二年間で五千人以上の生徒たちに「授業」をしてきた。いつもなら戦争の悲惨や軍隊生活の実態を伝えるために、実際に戦争を体験したベトナム退役軍人やイラク退役軍人らと一緒に授業を行うことが多いという。

 クウィンランさんらは、地域の高校などに出向いて授業をするだけではない。高校生による「若者行動チーム」をつくり、彼らの指導力や表現力を引き出す工夫にも努めている。戦争の実態や、自分たちの生活とのかかわりについて学んだ若者自身が、今度は地域での催しや教育セミナーなどに参加し、講師役を務めるのだ。

 「生徒自身が講師を務めることで、学ぶ内容が深まり、戦争に反対する姿勢もより強固になる。本人にとって大きな自信にもつながっている」とクウィンランさんは言う。

 元大学教授の父親と大学勤務の母親の間に生まれた彼女は、ロサンゼルス郊外で育った。大学で女性史と中米の歴史・文化を専攻。卒業後の八二年、米平和部隊に加わり、ドミニカ共和国で三年近く奉仕活動に従事した。貧しい地に身を置き、女性たちに栄養指導をしたり、地域の衛生や暮らしの向上に取り組んだりした。

 「ドミニカの人々には、貧しくても温かい人のつながりがある。私にとって学ぶものが多くあった」。当時をこう振り返るクウィンランさんは、帰国後に三年間オークランドの公立高校で社会科教師として教壇に立った。その後はパートナーとの間に生まれた一人息子(17)を育てながら、「軍事費のための納税拒否」など地道な平和活動を続けてきた。

 「若者行動チーム」は、オークランドや周辺部のほとんどの高校で実施されている米軍入隊のための「ジュニア予備役将校訓練団」に対抗して、生徒たちの自主的な取り組みで反対の運動を広げようというものだ。

 ■実態 まず教師に

イラク戦費
 米連邦政府予算の配分を監視している民間非営利団体「国家優先プロジェクト(NPP)」の調べでは、2007年2月末までに使ったか、もしくは議会で承認済みのイラク戦費の累積額は3780億ドル(約45兆3600億円)。NPPはさらに780億ドルの追加予算が議会で承認されると推計しており、その場合は計4560億ドル(約54兆7200億円)となる。また、イラク戦費総額を米国の納税者1人当たりに換算すると3400ドル(約40万8000円)、国民1人当たりだと1500ドル(約18万円)になるとしている。1時間当たりでは1150万ドル(約13億8000万円)、1日だと2億7500万ドル(約330億円)の出費となる。米兵の人的犠牲の増加だけでなく、イラク戦費が米国民の重荷になっているのは数字でも明らかである。
 特別授業から三日後の土曜日。サンフランシスコ市内の公立高校を会場に「社会的公正を求める教師の会」主催の第六回年次大会が開かれた。教師や市民、高校生ら約七百人が参加。「若者行動チーム」の高校二年ラティシャ・ゴッドウィンさん(16)も、若者を軍隊に送らないための分科会で講師役を務めた。

 彼女は約五十人を前に、一つの設問に四つの回答を用意。ゲーム形式で問いを投げかけた。

 大学で学ぶための政府奨学金を実際に受ける退役軍人は希望者の35%、52%、77%、それとも100%? 正解は35%である。兵士たちは最初の一年間は毎月百ドルずつを預金。最低四年間勤務で政府奨学金を得る資格が得られる。しかし、兵士の65%は何らかの理由で「資格はく奪」になっているのだ。

 年間二十万人の新兵を確保するために、一人当たり二万ドル(約二百四十万円)の勧誘費用が税金から使われていること、男性ホームレスの33%が退役軍人であること―など教師らもほとんど知らないことばかり。

 多くの大人を前に話をするのは初めてのゴッドウィンさん。「終わって大きな拍手をもらったのはうれしかった。でも、こんなに先生たちが実態を知らないとは…」と戸惑いもみせた。

 クウィンランさんらの平和教育の取り組みは、軍事優先予算がどれほど市民生活の犠牲の上に成り立っているかという点と、退役軍人による体験談に力点が置かれている。大人にも若者にも、一番理解されるからだろう。この上に相手国の被害住民らの声が反映されれば、内容は一層充実したものになるに違いない。

 その点をクウィンランさんに尋ねると「指摘の通り。まずは適切なビデオ映像などを入手して、自国のメディアが伝えない被害の実態や被害者の思いを伝えていきたい」と新たな取り組みへ意欲をみせていた。


イラク戦費を40個のクッキーに見立て、教育予算などと比較しながら高校生に説明するスーザン・クウィンランさん。「戦争は相手に甚大な被害を与えるだけでなく、自国民をも犠牲にする」(オークランド市) 「軍への入隊勧誘では教えない不都合な事実を若者たちにしっかり伝える必要がある」と、具体例を挙げて教師らに説明するラティシャ・ゴッドウィンさん=右端(サンフランシスコ市)

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