2007.03.18
17.  健康保険   かさむ負担 細る生活



 「こちらへおいで、マギー」。元看護師のケイ・スタラットフォードさん(62)は、十一年間一緒に住むペットの黒犬を部屋の片隅に招き寄せ、「おとなしくしているのよ」と子どもにでも諭すように声をかけた。

 オハイオ州アクロン市にある1LKの高齢者向けアパート。食卓のいすに腰を下ろした彼女は「一人暮らしの身には十分な広さ。住むところがあり、何とか食べていけるだけでも神の恵みを受けている」と控えめに話す。

 全身の筋肉が痛み、力が入らなくなる「多発性筋炎」という難病を抱える。一九九六年の暮れ、痛みとだるさで足が動かなくなり、腕も上がらなくなった。ものをのみ込むのに必要な筋肉まで侵され、食べることさえできなかった。

 「数え切れないほどの患者の世話をしてきたけれど、自分が病気になったときのショックは大きかった。回復するだろうかという不安と、健康保険ではカバーできない医療費のことが心配でならなかった」

 当時、スタラットフォードさんは、アリゾナ州フェニックス市で夫と二人暮らしだった。アクロン近郊の公立病院の看護師を九三年末に退職。翌年秋の結婚と同時にフェニックスへ移り住んだ。夫は運送業を営み、彼女は主婦業に専念していた。

 「三カ月半病院に入院して化学療法と、血清タンパクである免疫グロブリンの静脈内注射療法を受けて良くなっていった。でも、退院後も三年間は車いす生活が続いた」

 スタラットフォードさんは二十年間勤務した公立病院退職後も、同病院を通じ月額約五十ドル(約六千円)の掛け金で、現職時とほぼ同じ条件の健康保険を維持できた。米国では雇用関係が切れると、独自に保険会社と契約をしなければならないケースが多いだけに幸運だったという。入院費用の大半は保険でまかなえた。

 ■預金使い果たす

 しかし、途方もなく高額な免疫グロブリンの薬代は保険の対象外だ。一回の投与で約五千ドル(約六十万円)もするという。最初は一日一回、四日間連続で注射を受ける。それを四週間ごとに繰り返した。その薬代だけで一カ月約二万ドル(約二百四十万円)。とても夫妻が払える額ではなかった。

 「私の場合は幸い、製薬会社が立て替えてくれている。今もそれが続いているから生きていられるのよ」とスタラットフォードさん。

 だが、それまでの治療費などがかさみ預金もなくなった。家でも自由に動けない彼女は、夫にとって負担となっていった。「もう自分には手に負えない」。夫のそんな言葉に夫婦の関係も冷めた。つえを補助にしてなら身の回りのことがこなせるまでに回復した彼女は、結婚生活に終止符を打ち、二〇〇一年五月に住み慣れたアクロンへ戻った。

 「まじめに生きてきてもうまくいかないときもある。働いていたときや病気になる前は、自分も中産階層に属していると思ってきたけれど、いったん大病するとそんな意識は吹き飛んでしまった」

 一九五二年、七歳のときに心臓発作で父親を亡くした。きょうだい五人の末っ子。専業主婦だった母親は銀行勤めを始め、女手一つで五人の子どもを育て上げた。スタラットフォードさんは、高校に通いながら十六歳から看護助手として働き始めた。やがて看護学校で学び、二十六歳で正規の看護師に。その大半を同じ公立病院で働いてきた。

 「医師や看護師は貧富の差や人種に関係なく、どの患者にも同じように接することが求められている。人々のお世話をする、そんな仕事が大好きだった。でも、四十歳代初めに受けた腰の手術あとが悪化して仕事に支障をきたすようになった」

 一七六センチの長身。前かがみになることの多い仕事だけに特にこたえた。結局、早期退職を余儀なくされたが、そのころから筋炎の症状が現れていたのだろうと推測する。

 二年前に化学療法を中止した。しかし、現在も六週間ごとに看護師が三日間自宅を訪問、免疫グロブリンの静脈注射を続けている。収入は障害者年金の月千二百ドル(約十四万四千円)。五百ドルの家賃、健康保険料、水道・光熱費を支払うと、六百ドルも残らない。今は三カ月前に受けた歯の治療代約六百ドルを分割で支払っているという。

 「ほかの病気を併発しないだろうか、なんて考えていたらとても生きていけない。今は先のことを考えずに、近くに住む友達や知人と会ってできるだけ楽しい時間を過ごすようにしている」

 ■中産階級に波及

 ところが、退職者ら同じ年配の人たちが五、六人集まるとイラク戦争で戦死した同じ地域の若者のことや、イラクやアフガニスタンでの戦争や復興のために「なぜ何千億ドルもの税金を費やすのか」といったことがよく話題に上るのだという。

 「私は政治などに関心がなかった。でも、周りにはまじめに働いてきたのに健康保険の代金を払えない人たちが増えている。政府は国民の暮らしさえ保護できずに、どうして外国の人々まで助けることができるのでしょう。物価も上がるし、私たち庶民の生活は細るばかりです」。穏やかな口調を崩さなかったスタラットフォードさんだが、このときばかりは語気を強めて言った。

 国民皆保険制度のない米国では、国民の七人に一人強、四千六百万人余が健康保険に加入していない。数の多さについては私も知ってはいた。ただ未加入者はほとんどが黒人ら少数派の貧困層だろうとの思い込みがあった。が、現実は中産階級の多数派の白人らの間にも広がっているのだ。その背景の一つに過去六年で二倍余りにも高騰している健康保険代がある。

 ワシントン州の州都オリンピア市に住む元図書館司書のティナ・ルースさん(62)。一九六七年に大学院で「図書館学」の修士号を修め、以後、各地の大学や公立図書館に勤務。九五年にシカゴ市内の公立図書館からワシントン州西部の五つの郡をまとめた図書館の副館長として赴任した。

 「年収は税込みで約十万ドル(約千二百万円)。扶養家族はいないし恵まれていたと思う。でも、十年務めた二〇〇五年十一月にリストラに遭って失業した」。自宅で会ったルースさんはざっくばらんに言った。

 彼女は失業後も、元の雇用主を通じたグループ保険に加入して従来と同じ質の保障は得られた。しかし、そのために毎月六百六ドル(約七万三千円)の保険料を支払わねばならなかった。「いくらかの蓄えはあるといっても、収入がなくなった者にはあまりにも保険料が高い。失業からほぼ一年がたって低収入者向けに州政府が提供している『基本健康プラン』に認められたのでこちらに変更したの」

 ■月に12万円前後

米国の健康保険
 米国では多くの勤労者とその扶養家族は、企業や行政などの雇用主を通じて健康保険に加入している。個人経営者ら団体に属さない人々とその家族は、独自に保険会社と契約を交わす。連邦政府による高齢者向けの保険や、州政府による低所得者向けの保険などもある。しかし、最近は健康保険の未加入者が増えている。米国勢調査局の調べでは、健康保険の未加入者は2005年に130万人増加。2000年からだと730万人増えており、全体で人口の約16%、約4660万人にのぼる。

 増加の背景には@保険代の高騰A従来、被雇用者に健康保険を提供してきた製造企業の外国への流出B製造業に比べ健康保険の提供が少ないサービス企業や小企業の増加Cパートタイマーの増大―などがある。ある民間機関の調査では、1世帯の年収が4万ドル(約480万円)を超えていても、3分の1以上の世帯が健康保険に未加入だとしている。州別ではテキサス州の未加入率が25%、18歳以上の大人では31%と最も高い。

 一方、マサチューセッツ州議会は06年4月、全州民の保険加入を目指す全米初の法律を成立させ注目を浴びている。
 ワシントン州政府の補助を受けたこの制度だと毎月の負担は二二・五ドル(約二千七百円)。もっとも、この保険には眼科や歯科治療は含まれない。整体治療なども対象外だ。

 「もし私が個人契約で眼科や歯科も含まれた健康保険に加入しようと思えば、保険料は一カ月千ドル(約十二万円)前後にはなる。三、四十代ならまだしも六十代になると保険料は随分上がる。それに高血圧などすでに四つの既往症があり、後一つ増えると『ハイリスク』枠に入ってしまう。そうなると保険料は一層高くなるのに保障対象は減ってしまう」

 六十五歳になれば、ルースさんが三十五年間払い続けてきた連邦政府の「高齢者医療保険制度」の対象になる。眼科や歯科治療も含まれ、全額負担は免れる。しかし、それまでは歯や目の治療に行きたくてもなかなか行けない。さりとて千ドル以上もの保険料を払う余裕はない。

 「がんや心臓病など大病をすれば保険に入っていてもすべてをカバーできない。少々の貯金は吹き飛んでしまう。家や車を所有し、旅行を楽しみ、子どもにはいい教育を与える…。そんな生活をしていた私の知人が、大病をしたために医療費が払えずに家を売ったり、支払いのために仕事を続けている。かなりの収入があってもこのありさまだから、貧しい人たちの場合は本当に残酷よ」とルースさんは厳しい現実を指摘する。

 四十年近く働き、老後はゆったりと過ごしたいと願うルースさん。だが、知人らの境遇の変化を身近に知るとき、大病と、それに伴う途方もない医療費への不安は心の片隅から消えないという。

 アメリカの国民にとって「豊かな国」とはどのような国を指すのだろうか。少なくともルースさんやスタラットフォードさんは、健康保険の未加入者が四千六百万人もいる国を「豊かな国」とは思っていない。


愛犬のマギーと暮らすケイ・スタラットフォードさん。歩くときは室内でもつえの支えが欠かせない。「今以上に体が悪くならないようにと神に祈っている」と話す(アクロン市) 自宅でパソコンに向かうティナ・ルースさん。「医療から見放された市民がこんなに多い超大国というのはどこか間違っている」(オリンピア市)

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