2007.04.22
22.  被災復興ボランティア   街に希望の灯ともす



 二〇〇五年八月末のハリケーン「カトリーナ」による被災以来、放置されたままの民家が多く残る一角で、黙々と家の片づけをする若者たちがいた。降る雨も気にならないかのように、屋内で出たごみを「猫車」に載せ、歩道まで運んで捨てる。板切れや石こうボードなど高く積み上げられたごみの山が、彼らの仕事量を物語っていた。

 作業現場は、洪水による被害が大きかったルイジアナ州ニューオーリンズ市東部の「第九区」。居住者の多くは黒人たちだ。しかし、今も避難先から帰れぬ状態が続いている。片づけている家もそんな一軒である。

 若者たちに自己紹介をして、しばらく作業を見守った。厚底のブーツに革手袋、防じんマスクにゴーグル…。じっとしているだけでも汗ばむ蒸し暑さの中、女性二人を含む七人が薄暗い屋内で壊れかけた壁板をはずしたり、床にたまったごみを猫車に載せたりしていた。この家での作業は、前日に続いて二日目だという。

 休憩時間を利用して話を聞いた。全員が大学生と大学院生だ。バーモント州、カリフォルニア州、ロードアイランド州、ペンシルベニア州、フロリダ州からボランティアでやって来ていた。貧困者のための社会活動を続けてきた地元の指導者が中心になり、被災直後に立ち上げた民間非営利団体(NPO)「カモン・グラウンド共同体」を通じての活動である。

 ■慈善でなく連帯

 「家主からカモン・グラウンドに『片づけてほしい』との要請があった家で、お年寄りのいる家族など優先順位が高いところから手をつけている」。大学二年のアンドリュー・ペッティンガーさん(19)が、缶ジュースでのどを潤しながら言った。団体には二千件を超す依頼が舞い込んでいるという。この日も午前八時半から七―八人がチームを組み、十カ所で片づけ作業に当たっていた。

 高校時代の友達(20)を誘って来た社会学専攻のペッティンガーさんは、二カ月近い自らの体験をこう話す。

 「いろんな面で恵まれている白人のぼくたちは、この国で起きている悲劇的な現実を知らない。ジャーナリストのあなたと同じように、実際に現場に身を置いて自分の目と体で現実から学びたかった。避難民が帰れない背景には、政治の貧困と人々の無関心がある。アフリカ系アメリカ人への長年の差別は今も続いている」

 一番の理想は、以前の居住者たちが帰って来て、力を合わせてコミュニティーの再建に取り組むことだ。だが、そのためには最低限住む家がなければならない。家の片づけはその一歩。公的機関に対して「帰って来て住むという意思を示すことにもなる」とペッティンガーさんは強調する。そうでなければ、やがて「放棄された家」として、ブルドーザーで壊される可能性が高いというのだ。

 フィリピン系アメリカ人二世のライラ・ピネダさん(27)は、州立サンフランシスコ大学の大学院生。土木工学専攻の彼女は、地球温暖化問題、イラク戦争、人種問題など多岐にわたるテーマを取り上げた学内の「特別セミナー」に参加して、カトリーナ被災についての関心を深めた。

 彼女の大学では、これまでにニューオーリンズで被災者救援活動に加わった法学部教授らが、学生たちに体験を語っている。現地でのボランティア活動が奨励され、二週間以上奉仕活動に参加すると単位に加算されるという。

 「カモン・グラウンドの理念は『慈善』ではなく『連帯』。地域の住民が今一番求めていることを知って、手助けできることに取り組んでいる。相手が求めてもいないのに、一方的にこちらの価値観を押し付けようとしてもうまくいかない」。ピネダさんはこう力説した上でさらに言葉を続けた。

 「宗教や文化的価値観が違うアラブ諸国などに対しては一層そのことがいえる。ブッシュ政権に少しでもこうした理解と、富裕層以外の声に耳を傾ける姿勢があれば、イラク戦争は起きていなかっただろう」

 ■「思いやり」共有

 ピネダさんの両親は一九六九年、フィリピンからカリフォルニアへ先に移り住んだ親類を頼って移住してきた。この国で生を受け、苦労を重ねて大学院まで行った彼女の目には「アメリカ人の多くは金もうけだけに関心を向け、貧困層の暮らしには無関心を装い、思いやりに欠ける」と映っていた。

 だが、ニューオーリンズにやって来て約一カ月。自前で交通費を出して全米から奉仕活動に駆けつける数百人の学生や医師、弁護士、電気技師らと接して「アメリカに少し希望を見いだした」と笑顔で言う。

 「確かに被災地で奉仕活動にかかわる人たちは全体から見れば一握りにすぎない。でも、人間としての思いやりを忘れない人々と、テントで寝泊まりしながら奉仕活動をした体験は、私にとってとても貴重な財産。全国の多くの若者とも知り合えた」。彼女はそう言うと、防じんマスクを着けて再び作業に戻った。

 カモン・グラウンド共同体はもともと無料診療所から始まったという。ピネダさんらに会った翌日、市内中心部からミシシッピ川を挟んで対岸に位置する「カモン・グラウンド診療所」を訪ねてみた。民家を改造した診療所のあるアルジェ地区は、市内で浸水を免れた数少ない場所である。

 玄関ドアを開けると、十数人が診療を待っていた。受付には二人の学生ボランティア、その背後にはカルテなどの整理棚や小さな薬品棚が並ぶ。診察室は手狭ながら三室ある。医師八人と看護師九人が週一回ないし二回本業を離れ、月火水土曜の四日間、診療に当たっている。

 午後五時半。診察を終えた所長のラビ・バッドラムーディさん(38)は、無念そうに言った。「今日は家庭内暴力で体に変調をきたした妊婦ら、ここでの初期治療ではどうにもならない患者が数人いた。彼らは公立病院の救急外来へ送るしかない。無保険者の彼らに多額の医療費は払えないけれど、救急外来なら患者を診ないわけにはいかない。命だけは何としても助けないと…」

 彼が担当の水曜日の平均患者数は約五十人。利用者は大多数が黒人だが、白人や中南米系のラティーノもいる。ほとんどが健康保険の未加入者である。

 「市内で唯一の公立の慈善病院が水害で閉鎖された。失業の増加で無保険者率が一段と高まったこともあり、遠くからここを訪ねて来る人もいる」

 父親がインド人で、母親がアメリカ人のバッドラムーディさんは英国生まれのアメリカ育ち。二〇〇一年七月に、ウィスコンシン州から同じ医師の妻(36)とともにニューオーリンズへ移り、私立ツーレン大学医学部に務める。被災時は所用のため、娘(3)を連れて家族でミシガン州を訪ねていた。

 ニューオーリンズへ戻ったのは十月三日。「私たちの家は幸い被害がなかったけれど、カトリーナが残したつめ跡に言葉もなかった。大多数の市民も避難したまま。診ていた患者もほとんどいなくなった」。逆にそのことがきっかけとなって、十月半ばからカモン・グラウンドの診療奉仕活動にかかわるようになったという。

 ■医師の流出進む

カモン・グラウンド共同体
 カトリーナ被災の数日後、ニューオーリンズ市アルジェ地区で、3人の医師が聴診器と血圧測定器を持って「ストリート診療」を開始。同地区で生まれ育った黒人の社会活動家マリク・ラーマンさん(58)が医師と出会い、イスラム教のモスクの一部を借りて応急診療を始めたのが「カモン・グラウンド共同体」設立のきっかけ。以後、医療専門家や学生らの人的支援、個人・団体からの財政援助が広がり、恒常的な無料診療所へと発展していった。

 活動は被災家屋の片づけ、弁護士による法律相談、水や食料の配達センターの運営、ホームレスへの緊急シェルターの提供、幼児のデイケア、インターネット利用など住民の必要に応じて分野が広がっている。基本はすべて無料。これまでに延べ約1万2000人のボランティアが参加。約1200軒の家屋の片づけを終え、延べ50万人以上にサービスを提供してきた。
 「私たちの診療活動がメディアなどで取り上げられたり、インターネットで知られるようになって、個人や団体から寄付や薬品が届くようになった。遠くから医師や看護師、学生らも駆けつけてくれた」。しかし、地元以外のメディア熱が冷めたことや緊急性が低くなったとの判断から、今では他州からの医療専門家の応援はほぼ途絶えた。

 これまでに診療した患者数は延べ約四万人。最も多い病気は緊張や不安からくる高血圧やストレス疾患、糖尿病だという。無料で薬を提供しているが、必要な薬がないこともしばしばだ。

 圧倒的多数のニューオーリンズ市民は貧困にあえぐ。特に黒人への差別や不正義が失業を生み、絶望感から麻薬や銃などによる犯罪に走る者も多い。犯罪の増加と患者の減少…。医師たちはこの現実を前に、より条件のいい地へと転出する。無料診療所のニーズが一層高まりながら、医師や看護師の数が足りず、財政基盤も弱い。

 「私たちは医師として、この地域の人たちだけには最低限の務めを果たすことができる。でも、限界があるのも事実。この国に一番必要なのは、日本のような国民皆保険なのだ」

 バッドラムーディさんから日本の保険制度について聞こうとは思ってもみなかった。彼は、膨大な軍事費やイラク戦費を削減して民生予算に回せば、医療改革もニューオーリンズの再建も決して難しいことではないという。「しかし、それを話し始めると、むなしさばかりが先に立つ」。その言葉に彼の絶望の深さがにじんでいた。

 バッドラムーディさんは最後に気を取り直したように言った。「社会変革は無理でも、小さなともしびだけは消さないように頑張るよ」


建物だけが残った「第9区」で、住民が帰って来られるようにと民家の片づけをするライラ・ピネダさん(中)らボランティアの学生。「公的復興基金が官僚機構を通さずに直接市民に下りてくれば、より効果的な再建が可能なのに…」とピネダさんは話す(ニューオーリンズ市) 手狭な診察室で聴診器を使って患者を診るラビ・バッドラムーディさん。「医療に携わっていると、この国の社会矛盾が貧しい人たちに集中的に表れることがよく分かる」(ニューオーリンズ市)

| 中国新聞TOP | INDEX | BACK | NEXT |