2007.04.29
23.  メディアとイラク戦争   冷静さ欠き正当性支持



 ウィスコンシン州の州都マディソン市中心部のレストランで、ジャーナリストのジョン・ニコルスさん(48)と会った。一八六五年創刊の週刊誌「ザ・ネーション」の特約寄稿者である。ディック・チェイニー米副大統領の伝記「ディック この男こそ大統領だ」の著者でもある。テレビやラジオにも出演、政治とメディアについて鋭いコメントをするなど多彩な活動を続けている。

 そんな彼が、昼食にもほとんど手をつけず、自国のメディアと政治について約二時間熱っぽく語った。

 ■政府の「伝達者」

 「どの政権もメディアを利用したいというのは共通している。それを十分承知の上で、権力の乱用を監視し、政策の中身や政治家の在り方を問うのがメディアの主要な役割だ。メディアが劣化すれば政治家の質も低下し、民主主義がおかしくなる。二〇〇一年のブッシュ政権誕生後、特にそれが目立つ」

 〇一年の「9・11米中枢同時テロ」事件後、ブッシュ政権は「愛国心」に訴え、「テロとの戦い」を唱えた。それに対してテレビ、新聞、ラジオの主流メディアは「疑問を呈する冷静さも、勇気も欠けていた」と手厳しい。多くのメディアは批判どころか、「政府のメッセンジャーになっていた」というのだ。

 「もし市民がうその情報を本当らしく何度も聞かされたなら、簡単に信じてしまうだろう。権力者はそのことをよく知っている。9・11テロから〇三年三月のイラク戦争開戦へ至る過程は、そんな状況を象徴していた」と言う。

 イラクには大量破壊兵器がある。サダム・フセイン元イラク大統領は、9・11テロ事件を起こした国際テロ組織アルカイダを支援している。先制攻撃をしなければ、アメリカが危険にさらされる…。ブッシュ大統領と大統領を取り巻くネオコン(新保守主義者)たちは「軍事力による世界の支配と石油などの地下資源の確保」(ニコルスさん)という政治目的を実現するために、うその情報を流し続けて戦争の必要性を国民に浸透させていった。

 「核・化学・生物兵器の存在は、国連の査察団によって『証拠はない』とされていた。アメリカへの脅威も、一九九一年の湾岸戦争以後の経済制裁による国力低下を考えればほとんどなかった。フセイン大統領とアルカイダに何のつながりもないことは、CIA(米中央情報局)など現政権が一番知っていたことだ」

 仮にメディアの側に、政府発表の情報が偽りであるとの十分な裏付けが取れなくても、「疑問を呈することはできたはずだ。ましてや先制攻撃が、ジュネーブ条約や国連憲章で定めた国際法に違反することは、明確に主張できた」とニコルスさんは強調する。

 イラク開戦後の報道についても、国防総省の下で「エンベデッド(埋め込み)取材」の規制に縛られたのは「権力に対する米メディアの敗北だった」と指摘する。「被害者側からの報道があってこそ、最低限のバランスが保てる」と。

 〇四年の大統領選挙では、有権者の半数がなおイラクが大量破壊兵器を保有し、フセイン大統領とアルカイダがつながっていると信じていたという。「有権者に正しい情報が伝わらないままで一国の大統領を選ぶ。これでは国民へのメディアの役割は果たせていない。民主主義も形式だけのものになる」

 アメリカによる明らかな侵略戦争でありながら、同盟国としてブッシュ政権に忠告するよりも、イラクへの自衛隊派遣を選んだ日本の現状を考えるとき、ニコルスさんの説明を人ごととしては聞けなかった。

 しかし、なぜアメリカのメディアの多くが「翼賛体制的」といえるほどに戦争を支持してしまったのか?

 ■利益優先主義に

米メディア複合企業体
 米国では10社余りが大半のメディアを傘下に収めるほど統合が進んでいる。中でもタイム・ワーナー社は、世界最大のメディア複合企業体である。映画制作のほかに、ケーブルテレビのCNN、インターネット通信のアメリカ・オンライン、週刊誌のタイムなど150以上の雑誌を発行する。発明家トーマス・エジソンが創業にかかわった巨大製造企業ジェネラル・エレクトリック社は、キー局のNBCをはじめ全米に14のテレビ局、映画制作のユニバーサル・ピクチャーズなどを保有。ウォルト・ディズニー社は、キー局のABCのほか10のテレビ局、72のラジオ局、ケーブルテレビのディズニー・チャネル、出版会社などを傘下に収める。

 大規模な新聞経営で知られるガネット社は、全国紙のUSAトゥデーのほか100以上の地方紙、22のテレビ局を持つ。シカゴに本社のあるトリビューン社は、シカゴ・トリビューン、ロサンゼルス・タイムズなど11紙と23のテレビ局を所有している。同社は今月初め、シカゴの不動産投資家によって買収された。

 現在、全米で約1500の日刊紙が発行されているが、独立の所有形態を維持しているのは約270紙にすぎない。
 彼はその疑問に「二つの大きな要因がある」と間髪を入れずに答えた。一つは、ブッシュ政権に批判的なジャーナリストへの直接、間接の嫌がらせや排除が行われてきたこと。もう一つはここ十年余の間に新聞・放送・通信の寡占化が進んだことだという。

 「ブッシュ政権は、特に市民への影響力が大きいテレビのニュースキャスターやコメンテーターらを攻撃対象にした。共和党政権の宣伝媒体のようになったケーブルテレビなどは、今でも平気で事実を歪曲(わいきょく)して伝えている。また、テレビや新聞、ラジオなど何十社も傘下に収めた巨大複合企業は、報道の質より、多数の記者を解雇するなどして利益優先主義に走っている」

 こうした影響は、単に外交や軍事取材だけでなく、地域が抱える課題に対する取材力も弱めている、とニコルスさんは残念そうにいう。

 私はニューヨーク市に滞在中、この国の新聞産業とその報道について百年以上にわたって見守り続けている専門誌「編集者と発行人」のオフィスを訪ね、編集長のグレッグ・ミッチェルさん(59)にも意見を聞いた。

 核問題専門誌「ニュークリア・タイムズ」編集長として、ほぼ四半世紀前に広島・長崎両市で被爆者らを取材した経験もある彼が「編集者と発行人」へ移ったのは二〇〇〇年。〇二年から編集長を務める。

 ミッチェルさんは9・11テロ事件を「本土攻撃を受けたことのないアメリカ人にとって大きな衝撃だった。政府はそれを利用して『テロとの戦い』を声高に訴え、ほとんどの主流メディアが支持した。一般市民はそれこそ、第二次世界大戦のさなかにでもいるような気分になっていたのでは…」と振り返る。

 9・11以後、メディアは冷静さを失うだけでなく、「権力に翻弄(ほんろう)されていた」と彼の目には映った。基本的人権侵害につながる「愛国者法」。それに反対する有効な報道ができなかった。膨大な貿易赤字や産業の国内空洞化、地球温暖化などの環境対策、貧困問題…。政府が緊急に取り組むべき重要課題に対しても「十分な問題提起をしてこなかった」と言う。

 「編集者と発行人」はイラク戦争の足音が近づいた〇三年一月号で、「無回答のままの質問」と題して特集を組んだ。イラクの大量破壊兵器保有など、ニコルスさんが先に挙げた問題点が、新聞でほとんど検証されていなかったからだ。「戦争熱に浮かされて、新聞報道が見失っている点を指摘したかった」とミッチェルさん。

 その中で彼は、元国防総省職員のダニエル・エルズバーグ氏(76)にインタビュー。氏はベトナム戦争の拡大を懸念し、七一年に機密の「ペンタゴン・ペーパー」を主要紙に暴露して当時のニクソン政権に打撃を与えた人物だ。三ページにわたる記事の狙いは、ベトナム戦争の過ちを繰り返さないための教訓を引き出すことだった。ミッチェルさんは最後に、氏の言葉をこう紹介している。

 「この政府は、ベトナム戦争と同じように、私たちをだまして戦争へ導こうとしている。ベトナム戦争同様、それは考え得るどのような利益よりもはるかに危険の大きい、向こう見ずで、不必要な戦争である」

 発刊当時、新聞発行者や編集者から「見方が厳しすぎる」「偏っている」との批判もあったという。「しかし現実は、われわれが戦争前に指摘した通りの結果になっていった。今はおかしいと批判する者はいない」

 ■ようやく変化も

 バグダッドのアブグレイブ刑務所でのイラク人への拷問がインターネットで流れ、米軍の死者が増加し、イラクの内戦化が顕著になるにつれ「新聞報道にもイラク戦争を冷静に見つめようとする変化が表れ始めた」とミッチェルさんは言う。特に〇五年八月末のハリケーン「カトリーナ」がもたらした米南部の甚大な被害は「イラクよりも足元を」と、深刻な国内問題に目を開かせた。

 「でも、カトリーナ報道も二週間。それが過ぎると、地元以外は新聞もテレビもほとんど取り上げなくなった」

 メディアとしてイラク戦争に加担したことへの反省も、ニューヨーク・タイムズなど数紙を除いてほとんどみられないという。

 ニコルスさんが指摘したように、ミッチェルさんも「新聞やテレビなどメディアの寡占化が多様な意見を反映しにくくしている」とみる。確かにアメリカでの新聞、テレビなど、メディア関連企業の売却・統合はすさまじい。高配当を求める株主への配慮など、利益優先主義がジャーナリズムの質を低下させているとの声も多く聞いた。

 こうした動きに対して、運営資金を視聴者やコミュニティーに依拠したり、インターネットを活用したりした新しいメディアがアメリカ各地で興隆している。既存のメディアとは違った視点を提供するなど、主流メディアへの挑戦であることは間違いない。その影響力はすでに無視し得ないまでに広がりつつある。


取材や講演などで首都ワシントンをはじめ全米各地を飛び回っているジョン・ニコルスさん。「テロ防止には軍事力よりも、発展途上国の貧困や病気をなくすための支援をする方が有効だ。こうした視点からの報道が求められている」(マディソン市) 「ブッシュ政権はいい例だが、政府筋などから漏らされた情報は、百パーセント裏が取れるまで疑ってかかった方がいい」と、グレッグ・ミッチェルさんは忠告する(ニューヨーク市)

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